一年とちょっと前のこと、元沖縄地方裁判所の判事で禅宗僧侶でもあった稲葉耶季(いなばやすえ)さんとマキノ出版から対談本を出させていただいた。瞑想と断食から不食にまで進まれた信念の人だったが、明治大学の近くでバッタリ出会ったときには、快く食事の誘いに応じてくださり、僕の顔を立ててワインを二杯とサラダだけは口に運んでくれた優しさが印象的だった。その後は外国と沖縄をお忙しく行き来していらっしゃったためお会いする機会はなかったのだが、1月14日に天国に召されてしまった。
その日は名古屋市内で開催している道場の日だったのだが、午後三時半から二時間の稽古中に何故か異様な寂しさに駆られてしまった。むろん稽古中にそんな感情にとらわれるようなことは今までになかったし、名古屋に限らず、東京や岡山の道場でもそんなことは一度もなかった。他流派の道場と違って、僕の道場はいつも笑いが絶えず、老若男女が文字どおり笑い転げながら稽古しているため、その中にあって寂しいとか悲しいなどといった感情など湧き出るはずもない。だが、その日は違った。夕方五時半になってもその不思議な寂しさは消えるどころか、だんだんと強くなってしまっていたのだ。
新年最初の名古屋での稽古ということもあって、稽古後は道場長や副道場長をお願いしている古い門人の方々と一緒に夕食でもと考えていたのだが、どうもその気になれずにそのまま名古屋駅まで車で送ってもらうだけにしてもらった。珍しいことだが、何となく一人になりたかったのかもしれない。といってそのまま混雑する新幹線のホームに上がっていく元気も出てこなかったため、地下街の空いた店に一人で入って先に夕食をすませてから新幹線で東京に戻ることにした。人が少ない方に少ない方にと歩いた結果、夕方六時半にしてはガラ空きの小さなレストランに腰を落ち着けた。二人掛けのテーブルに通され、簡単な肉料理のみを注文したのだが、お冷やに続いて小さなサラダボウルが運ばれてきた。聞けばセットになっているという。サラダが苦手な僕はそれを飲み込むために急遽ビールを注文する羽目になった。
手つかずのサラダを見ながらビールを飲んでいるうちに、向かいに誰かが座ってくれていればサラダを回せたのにと思いながら、運ばれてきた肉料理をいつになくゆっくりと食べ終わる頃には、ほろ酔い気分も手伝ってか不思議な寂しさはやっと消えてくれていた。そうして新幹線車中の人となってウトウトし、静岡県内を走っている頃、携帯電話にショートメールが飛び込んで来たのだった。それが冒頭の、稲葉耶季さんがお亡くなりになったとの知らせだった。
その瞬間、僕はすべてを理解した。葦原瑞穂さんが亡くなられたときもそうだったのだが、稲葉耶季さんも肉体から魂が離れ天国に昇っていかれる前に、僕がちゃんとやっているか、寄り道をして覗きに来て下さったに違いない。
名古屋駅地下の店でテーブルの向こう端にやったままのサラダは、結局稲葉耶季さんのためだったのか…? そういえばそのときのビールは、ちょっぴりほろ苦かったと思う。
稲葉耶季さん、また会いましょう
2018年1月
保江 邦夫