関西出張-星辰館〜保江邦夫オフィシャルサイト

関西出張

2019.03.14

 東京の白金に住むようになってからも月に一度のペースで京都、大阪、神戸の関西三都に出かけています。白金からは高輪台を超えて品川駅まで出れば新幹線に乗ることができます。歩いても20分ほどですが、途中の歩道にはごらんのようにたわわに実った柿の木まであります。

 都会の代名詞たる港区では最も想像できない風景でしょうが、ごらんのように歩道脇のネコの額ほどの地面から太い幹を出しているのです。タクシーで品川駅に向かうときにも運転手さんが驚くほどです。

 品川駅から新大阪までは「こだま」に4時間揺られていくことにしていますが、「のぞみ」ではなく「こだま」に乗るのはそのゆっくりとした時間で「ポメラ」を使って原稿打ちがはかどるからです。動く書斎といったところですが、各駅停車しながら何本かの「のぞみ」に抜かれていくため、「動く」という雰囲気はあまりありません。それになによりいつもほとんどガラ空きなのです。

 新幹線の「こだま」で唯一不便なのは車内販売がないことですが、乗車前に駅の売店や自動販売機で飲み物と食べ物を買い込んでいればまったく問題はありません。新大阪駅から品川駅に向かうときには新幹線の新大阪駅に隣接する地下鉄御堂筋線の新大阪駅側にある成城石井の売店に行けば、なかなか洒落た食べ物も手に入ります。で、その地下鉄新大阪駅の廊下を見ると、まるで湯川秀樹博士の「素領域理論」における素領域を描いたかのような模様が使われていました。

 これはいずれ素領域の解説図として使えると思った僕は、通行人に怪しまれながらも床の写真を撮影したのです。

 御堂筋線に乗れば10分ほどで「本町駅」に着きますが、そこから真西に向かって20分も歩けば「サムハラ神社」です。というわけで、関西方面に顔を出すときにはこの「本町」界隈に出没することになってしまいます。いつも同じ靱公園を通る道を辿るのにあきた僕は、初めての道を見当をつけて目的地に向かうこともしばしです。このときも例外ではなく、いつもの「2番出口」ではなく「8番出口」から地上に出てみました。

 すると、どうでしょう。一見して教会風の建物があるではありませんか。

 興味を持って近づいてみると、前庭に古いフォルクスワーゲンのケーファーが置かれ、バンパーに花が飾られていました。ということは、そうです。ここは教会ではなく結婚式場だったのです。いやはや・・・さすが大阪ですね。結婚式用だけの教会風の建物を造ってしまうのですから。

 で、その向かいに目をやると・・・、今度は超高級なスポーツカーがビルの1階に展示されています。ショーウィンドウのガラスに向かいの教会風の建物が映って、あたかもイタリアの首都ローマの中心にいる気分にしてもらえますね。

 いや、展示されていたスポーツカーはフェラーリやランボルギーニではなくマクラーレンだったのですから、ローマではなくロンドン中心部にいるかのような雰囲気というべきでした・・・。

 それにしてもマクラーレンのショールームがあるとは・・・。白金界隈にもフェラーリやランボルギーニなどのイタリア系スポーツカーやドイツのポルシェなどのショールームは何軒もありますが、イギリスのマクラーレンは見かけたことがありません。それが大阪のこんなところにあるなどとは・・・、そういえば聞いたことがありました。レアな超高級スポーツカーが売れるのは東京よりも大阪だということを!

 うーむ・・・、関西商人の底力を見せつけられた気がしました。それにしてもマクラーレンのスポーツカーは美しいなー。まあ、僕が白金で転がしているミニクーパーも美しい車に違いありませんが・・・。

 翌日は京都に移動し、京都駅八条口にある日本茶カフェで「小倉トースト」とアイスティーの遅い朝食と洒落込みます。昼過ぎですから、他の人なら昼食と表現するところでしょうが・・・。

 ここの「小倉トースト」は名古屋名物の粒あんマーガリンを載せたものとは違います。粒あんの下のペーストはマーガリンではなくマスカルポーネチーズ。なんとなく、古都の気品を感じます。というのは贔屓目でしょうか?

 お腹を満たしたところで堀川通りにある安倍晴明を奉った「清明神社」へと向かいます。

 鳥居を潜って拝殿の前でふと空を見上げたとき、まさに真上に延びていたのが龍雲です。さすがは安倍晴明を奉る清明神社!

 太陽に輝く何本もの龍雲はちょうど僕が清明神社に留まっている間だけ空に現れていました。

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 とはいっても、ここ清明神社に奉られていた陰陽師安倍晴明の遺品はすべて京都御所の北に位置する歴代の天皇縁の寺院に移設されてしまっているため、安倍晴明の霊力は残ってはいないはずなのに・・・。いや、そういえばどうしても移設できなかったものが一つだけ遺されていた・・・。それが御手水所の横にある井戸だったのです。

 京都中心部は、元々は広い沼地だったために、どこに井戸を掘ってもすぐに水が汲めるようにはなるのですが、水質はよくありません。ここ清明神社の井戸も例外ではなかったようで、そのままでは使用できなかったようです。そのため、井戸水の水質改善のために用いられたのが陰陽師の叡智の一つ、井戸に向かって北斗七星の形を描くというものでした。ともあれ、地中に開けられた井戸の穴を別の場所に移すことはできない相談です。ということで、他の寺院への移設ができなかったおかげで、この清明神社にはかろうじて一つだけ安倍晴明縁の物が遺されていたことになるわけです。

 だからこそ拝殿の真上に何本もの龍雲を出現させる霊力が遺されていたのではないでしょうか? 清明神社を離れた直後に再び空を見上げたところ、すべての龍雲は消え去ってしまっていました。そう、僕が清明神社を訪れていた間にだけ見事な龍雲が頭上を飾ってくれていたのです。

 後ろ髪を引かれる思いの僕は、しかし次の目的地である京都東山の知恩院へと向かいます。岡山出身の法然上人が興した浄土宗の総本山ということで訪ねようとしたわけでは、もちろんありません。それは浄土宗光明派の著名な僧侶である山本空外和尚のお墓の後ろにある、別のお墓にお参りするためです。

 大きな自然石に「南無阿弥陀仏」と彫られた空外和尚のお墓の後ろ側に見える黒色の四角い墓石に眠る御霊に頭を垂れるのが知恩院訪問の目的です。そう、日本人で初めてノーベル賞を受けた理論物理学者・湯川秀樹博士の墓参りということ。

 京都の近くに出張してきたとき、時間があればできるだけ湯川秀樹博士のお墓参りに知恩院を訪ねることにしています。このときもそうでした。そしてお墓参りの後は・・・遅い昼食となるのですが、このときは湯川先生がほぼ毎日お昼に出前で取っていらっしゃった「けつねうどん」にしてご生前の先生を一人で偲ぶことにしました。

 とはいっても、小食の湯川先生と同じものだけではお腹が空いてしまうのは火を見るよりも明らかです。というわけで、「けつねうどん」と「親子丼」のセットにすることにしました。これまた、実に美味!

頭脳では湯川秀樹先生に負けていても胃袋では負けていない保江邦夫

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