東京の白金に出てきてからちょうど一年が経つ年度末のこと、本郷三丁目で開催されていた「山本空外上人展」を拝見に行きました。山本空外上人は広島での被爆体験によって世界的に高名な哲学者から浄土宗の僧侶へと転身した大思想家であり、その影響を強く受けた弟子にこれまた共に世界的な業績を誇る数学者・岡潔と理論物理学者・湯川秀樹がいます。岡潔にも湯川秀樹にも傾倒してきた僕としては、心のヒーロー二人が貴重な教えを授かってきた山本空外和尚という人物についても興味があったのですが、図書館に籠もって著書を読みあさるという真面目なやり方は性に合いません。
それよりも山本空外和尚の偉大な業績やお人柄について熟知したお弟子さん達が簡潔にまとめて下さったものをサッと見るのが、手抜き上手な僕には相応しい。そう信じて時期を待っていたところ、チャンスが意外に早くやってきました。それが「山本空外上人展」だったのです。
会場は「財団法人・東京大学佛教青年会」の本部で、なかなか立派なビルに達筆の看板が印象的でした。
受付をすませて展示会場を歩き始めたとき、明らかに責任者の風格のあった年配の男性が座って会場全体を見渡していらしたので、写真を撮ってもかまわないか否かを尋ねたところ、何の問題もありませんと笑顔で応えて下さいました。そのおかげで、空外和尚様の穏やかな笑顔の写真だけでなく、僕が捜したかったものに出会えたのです。まさに犬も歩けば棒に当たる、でしょうか。
まず視界に入ってきたのは、空外和尚様の素晴らしい書の数々でしたが、中でも一番に目に飛び込んできたのは横一文字に漢数字が並んだ勢いのある書で、明らかに「いのち」、「宇宙」、「すべて」を表すものだと直観できます。おまけにそのなかに並ぶ数字「1234」はといえば、昨年末に岡山で衝動買いして東京に持ってきた真っ赤なミニクーパーのナンバープレートに刻まれている登録番号そのものではありませんか。車屋の方に希望のプレートナンバーを聞かれ、そのときは何も決まった番号にしようとは思っていなかったため咄嗟に「1234にしてください」と即答してしまったのですが、直後には「まあ、一二三祝詞の一二三四(ひふみよ)にしたということにでもするか・・・」と自分を納得させていましたが疑問は残っていたのです。
それが、ここにきて山本空外和尚様の思想のすべてを表す書に記されていた数字だとわかり、僕は驚きながらもオビワン、ヨーダ、そしてダースベイダーから戻れたアナキンの霊にあたたかく見守られているルーク・スカイウォーカーのようにその場に立ちつくしていました。むろん、ヨーダは空外和尚様であり、ヨーダの弟子だったオビワンとアナキンはさしずめ岡潔と湯川秀樹になるでしょうか。
そして、空外和尚様と岡潔の交流を示す展示は天才数学者岡潔の人となりを彷彿させる一本の掛け軸であり、そこに記された「幽遠」という文字にもまた大思想家山本空外による「一二三四三二一」に匹敵する奥深さが秘められています。
和紙の中央ではなく、右上に詰めて書き下ろす筆の運びは、お茶目な一面としてよく紹介される「犬といっしょに飛び上がった岡潔」の写真での岡潔博士の心意気そのものではないでしょうか。完全に脱帽です。
岡潔がヨーダである山本空外和尚の直弟子であるオビワンということなら、岡潔が空外和尚に紹介した湯川秀樹博士はアナキンということになります。理論物理学者の湯川秀樹博士は中間子理論を提唱して日本人初となるノーベル賞を受賞後、欧米に招かれます。その頃の空外和尚様との交流を示すものとして展示されていたのはニューヨーク滞在中の湯川秀樹から送られてきた直筆の手紙でした。
ニューヨーク近郊のニュージャージー州プリンストンには相対性理論で有名なあのアルバート・アインシュタイン博士が滞在中で、アインシュタイン博士と語らいながら散策している湯川秀樹博士の写真は大学生の頃からの僕の宝でした。いつかはアインシュタイン博士や湯川博士のようにこの宇宙の奥底に潜む基本法則を明らかにしてやると誓い、ひたすら思索にふけったものです。その後、晩年に湯川先生が提唱された素領域理論を研究し始め、やっとこの僕もこの宇宙の背後にある調和の世界を垣間見ることができたと思えていますが、その一端は拙著『神の物理学−−蘇る素領域理論』(海鳴社)でご紹介しています。是非ともご一読ください。
こうして素晴らしい展示を拝見し、湯川秀樹と岡潔という日本を代表する二人の学者を影から指導しておいでだった山本空外和尚様の偉業に感銘することができました。その余韻を引きずる形で、東京に出てきてからのこの一年間にずっとお世話になったご近所のシチリア料理屋に入りました。
昨年の4月1日に白金に住み始めたとき、四軒隣にイタリアンのカフェとレストランが並んでいるのを見つけました。カフェは地元の「四之橋(しのはし)」を意味するイタリア語で、隣接のレストランは「シチリアの赤」を意味するイタリア語で呼ばれていました。カフェのほうは朝の7時から深夜まで、またレストランは夕方6時から深夜までの営業で、朝食は毎日そのカフェでいただいていました。日によっては昼もそのカフェ、夜もそのカフェかレストランで食べるという日があったくらいで、お店のご主人やスタッフの皆さんとはすぐに打ち解け、間もなく馴染み客の一人として迎えていただくようになったのです。
5月の連休明けからはカフェも夕方6時からの営業のみになり、美味しいパニーネが昼に食べられないのが残念でしたが、スタッフの方々にゆっくりとした時間を仕事時間以外にすごしてもらいたいというご主人の計らいに納得した僕は、連休明けから朝食は自分の部屋で取ることにしたのでした。それでも夜は頻繁に通っていて、この一年をとおして本当にお世話になった店で、僕の定席までもカウンターにあったのです。年度末最後の営業日にあたるその日も定積に陣取ったのですが、ふとカウンター前の味のある古い配電盤を見ると、こんな張り紙があったのです。
いやー、東京に住んで丸一年が経つ日の夜、この一年間お世話になったお店の皆さんにこのような形で祝っていただけたという事実は、自分自身の生き様についてのとても大きな自信につながりました。
さあ、次の一年間にはどんなことが待ち受けているのでしょうか?! ワクワクしながら白金での毎日を誠実に楽しく暮らしていくことにします。
今の僕の気持ちを一枚の写真で代弁するとしたら・・・、おそらくこの前の満月の夜に初めて訪れた江ノ島の海岸で取ったこんな映像になるのではないでしょうか?
すっかり東京者気取りの保江邦夫