4月22日にあった「春の家元放談会」では、予定していた講演内容の部分を短くして、最直近の衝撃的な出会いについて熱く語らせていただきました。それは、その2週間前の4月7日の土曜日に大阪のど真ん中で「神様」に会ってしまったことのご報告でした。会場の皆さんはほとんど全員がとても驚いては下さいましたが(当然といえば当然かもしれませんが)、やはり半信半疑、いや、とても信じられないという表情です。それでも、かなりの不思議体験である僕と神様との邂逅の顛末については大いに興味を持っていただけました。
放談会では時間の関係で「神様」に出会った日のことや、何故に出会うことになったかについては詳しくお話しできたのですが、岡山から「神様」に出会うために車でのこのこと出かけていった道中のことについては触れることができませんでした。そこで、この場をお借りして簡単にかいつまんでお伝えしておきたいと思います。さらには、「神様」に出会って僕自身も「リトル神様(プチ神)」になれた気がするのですが、そのプチ神のエピソードも一つご紹介します。
前日の4月6日には京都の白沙村荘橋本関雪記念館にある有名な「関雪桜」を背景にした平安装束の貴公子の写真撮影が予定されていたために、貴公子役の女子大生一人を伴って朝の10時前には銀閣寺の近くにある記念館に行きました。西陣の呉服屋さんに着付けをお願いして、平安時代の公家の服装を身につけた女子大生が、ちょうど見事に満開になっている「関雪桜」の下で若き日の菅原道真公を演じたのです。
こうして目的とする写真をうまく撮影してもらうことができたのですが、その中の一枚は遠くに「東大文字」が写っているなかなか印象的なものになりました。
そういえば京都は例年より二週間も早く桜が満開となっていて、記念館に向かうときに歩いた京都府の旧庁舎でもきれいな枝垂れ桜が目を楽しませてくれました。
また、若き日の菅原道真公の面影を再現するということでしたので、撮影前には道真公がお生まれになった場所に建立された神社にお参りに行ったのですが、産湯を使った場所に設えられていた石碑には「神道」、「愛」、そして「古梅」という文字が刻まれていたのです。これには僕も女子大生も感動して、しばし黙想して道真公のお気持ちに思いを馳せることにしました。
その神社を辞して少し歩き始めたところ、ごく普通の民家の屏の内側に何やら立派な御社が建立されていました。見ると「八代龍王大神」を奉ったものなのですが、いわゆる神社ではなくどなたかが生活なさっている家の脇にあるので誰もが鳥居をくぐることはできません。しかし、屏の外側の道路を歩いている人も参拝できるように、御社のところだけ屏の高さが微妙に低くなっているのが愉快でした。京都の人々の小粋な文化的底力を拝見したようです。
翌日の4月7日土曜日午後2時半から大阪市内の心斎橋近くで「神様」にお目にかかる約束だったので、午前11時に京都のホテルをチェックアウトして車を現地まで走らせました。撮影の機材などが多かったために、岡山から京都までは車で移動していたのです。その京都の帰りであれば大阪市内中心部に寄れるということで、その日が「神様」との出会いに予定されたわけです。カーナビの指示どおりに走ると、2時前には現地に到着してしまったために「アメリカ村」と呼ばれる若者に人気の地区を散策することにしました。少し歩いたところで気になった店が一軒あったのですが、それは如何にもアメリカンという雰囲気の輸入衣料品の店で、その界隈には似たような店がいくらでもあったのに何故かその店の前を通り過ぎたときにだけひっかかるものがあったのです。
店の前まで戻ってからじっくりと眺めてみたのですが、僕が気になったのは店に飾られていた衣料品ではなく、実はその店の名前それ自体だったのです。店の入り口の上にはアルファベットで「NO.W.HERE」と記されていましたが、この店名そのものに引っかかってしまいました。神様はいるのか、あるいはいないのかと問われたときに、よくアメリカ人が使うジョークの中に入れ込まれた真理を表す言葉だったからです。「神様はどこにいらっしゃるのか」と問われたときに「NOWHERE」と答えれば「どこにもいない」という返事になり、「NOW HERE」と答えれば「今ここにいる」という返事になるわけですから。
これから「神様」に会おうというタイミングで、指定された場所の近くを指定された時間の30分ほど前に歩いているときに「NO.W.HERE」に出くわしてしまったのですから、僕には「NOW HERE」と映ってしまったようでいやが上にも期待が膨らんでいきました。こうして午後2時半からお目にかかることができた「神様」とは完全に意気投合してしまい、僕の頭の中では2時間くらい話し込んでしまったのでそろそろ失礼して岡山に向かって車を走らせようと思い、挨拶を交わして外に出てビックリ。もう真っ暗になっていて、時計を見ると夜の7時過ぎ! そう、4時間以上も「神様」と対話していたのです!
最後の挨拶で「僕は普通の物理学者と違ってUFOの研究も密かに続けている変わり種です」と伝えたのを受けて、神様は「あ、おもろいから、UFOも送り込んでおきまっさ」と関西弁で笑ってくれました。その帰り、山陽自動車道の姫路東インターの手前で助手席の女子大生がしきりに空を見上げながら、「あの変な飛び方をしてるのは飛行機ではないですよね?」と聞いてきました。時速100キロで運転中だった僕がゆっくりと空を見るわけにもいかないので、夜遅かったために少なかった交通量を考慮して車を路肩に停止させて窓を開けて見上げたところ、あきらかにUFOとおぼしき飛行物体が上空を漂っていたのです。あわてて携帯電話を取りだして撮影を試みたのですが、何とか一枚だけにはその飛行物体を捉えることができていました。
そう、「神様」の最後の言葉にあったとおり、その夜には確かにUFOが出現してしまったのです。その他にも、その日の「神様」との対話の中で僕が話して「神様」が認識してしまったことが、翌日には僕の身のまわりですべて実際の話として実現してしまい「神様」が本物であることを認めざるを得ないことになったのは、「春の家元放談会」で皆様にお伝えしたとおりです。
そして、「神様」に出会った僕自身も「リトル神様(プチ神)」になれた気がするようになったエピソードというのは、次のようなことでした。
こうして「神様」に出会った一週間後のこと、僕は再び京都にいました。40年前にスイスのジュネーブ大学で教鞭を執っていた頃に指導した大学院生の息子が僕を訪ねてきたからです。岡山では倉敷の美観地区を案内し、次いで京都に行って主だった寺社仏閣をいっしょに拝観して回りました。金閣寺や銀閣寺は定番ですが、中国人観光客の多さに辟易したそのスイス人青年が人が少ない寺院に行きたいというので、僕が京都の大学院時代に下宿していた「哲学の道」の大文字山側の麓にある「法然院」に連れていったのです。
もう夕方の5時を過ぎていたのですが、本当に静かで落ち着く境内に入ることができ、スイス人青年も大変喜んでくれました。おまけに、この境内は大学院生の頃の僕がしょっちゅう散策にやってきて、そのおかげで理論物理学の学位も取れたんだと説明すると、うなずきながら目を輝かせていました。それもそのはず、彼もちょうどジュネーブ大学で教授になった僕の当時の別の教え子の研究室で博士論文を提出したばかりだったのです。
二人して本堂の裏庭までゆっくりと歩いていき、5時で閉められた本堂の前の板の階段に座り込んで本堂を背にして大文字山の上にまで延びるうっそうとした林を眺めたとき、その手前に祠があって中に等身大の仏像があるのに気がつきました。「へえ、こんな目立たないところに仏像がある」と、何とは無しに眺めていましたが、ちょうどお顔が影になってよく見えません。とはいえ僕は仏像には詳しくないのでそのままぼんやりと眺めていると、二人の他には誰もいなかった裏庭に足音が近づいてきました。見ると5人の外国人観光客が無言でやって来たのです。その先頭を歩いていた長身の男性と目が合ったとたん、僕も驚いたのですが、ほとんど無意識のうちに流暢なフランス語で話しかけていました。もちろん彼らがどこの国からやって来たのかはわからないのに、です。
一瞬の出来事ではありますが、彼ら5人は、祠の中の仏像の肝心要のお顔が暗く影になっているのを一瞥するや、踵を返し、その場を立ち去ろうとしていました。僕の口を衝いて出たのは次のような言葉です。
「あと15分もすればあのブッダが君にほほえみかけてくれるから、ここで我々と並んで静かに待ってみてはいかがですか」
自分自身の唇から放たれたこの言葉を聞きながら、僕は内心とても困惑していました。写真のとおり、祠の屋根部分が仏像の顔に影をもたらしているのが、あと15分で晴れる保証はないからです。それに僕自身、恥ずかしながらその仏像が何であるかもよく知らず、自分たちだってそのお顔を眺めるために座って待っていたわけではありません。しかし、僕の言葉を聞いた長身の男性はちゃんとフランス語を解したのか、僕に向かって笑顔を返したかと思ったら我々二人と並んで本堂の板階段に腰掛けてしまいました。他の4人も彼に続いて、同じように階段に座って祠のほうを無言で眺め始めます。
困ったことになりました。遠くにホトトギスが鳴く声が聞こえ、春風の音が大文字の山麓に広がる中本当に心地よい静寂が裏庭の世界を包んでくれます。途中如何にもなアメリカンや中国人観光客といったグループが騒ぎながらやってきたのですが、我々7人の異様な静けさに圧倒されたのか早々に立ち去ってくれたために静寂な空気が破られることはありませんでした。とはいえ、僕自身は気が気ではありません。初対面のしかも異国からやって来た男性に「15分でブッダが君に微笑んでくるよ」などと口走ったわけですから、もしこのまま何も起きなかったらトンだ大恥をかくことになってしまいます。何の根拠も、何の考えもないまま、何故かその外国人の男性の顔を見たとたんにそんなことをわざわざフランス語で伝えてしまったのですから、本当ならばこのままコッソリ逃げていきたいくらいでした。
しかし、5分が経ち、10分が経ちというふうに静寂の中に身を投じているうちに、それまで隠れていた祠の中の仏陀の顔の部分に少しずつ太陽の光が射し込んでくるようになりました。
(5分後)
(10分後)
(15分後)
遂に15分が経過すると、僕の「予言」は当たっていたということが明らかになったわけです。
ああ、よかった。これで何とか文句を言われずに済む。恥をかかずに済む。安堵した僕がスイス人青年と連れだってその場を離れようとしたとき、隣に座っていた長身の外国人男性が立ち上がり、僕を呼び止めてとても静かな口調のフランス語で話し始めたのです。聞けば、彼はやはりフランス人で、心の平安を求めて世界各地の宗教遺跡や寺院を訪ねているとのこと。「日本、特に京都の神社やお寺には既に何回も来ているけれど、今日ここですごしたこの15分間は自分の人生の中の最良の15分間になった。この旅でこうして素晴らしいマスターに導かれて得ることができた心の平安をこれからの人生で大切にしていきたい。ありがとう、マスター!」
彼はずっと夢見ていたそうなのです、ふらりと訪れた寺院に老師が待ち構えていて、自分に何か意味のある言葉を投げかけてくれるのを。
とても静かな言い回しだったのですが、別れ際に求められた握手はものすごく熱く力強いものでした。
僕が口走ったことが、その15分後にはこの現実世界の中で実現してしまい、それによって一人のフランス人男性に生涯忘れ得ぬ貴重な精神体験となって彼の心を満たすことになったのです。
これを、あの「神様」の影響と言わずしてなんと言おうか。
保江邦夫改め「プチ神」・・・(洒落ですよ、あくまで・・・念のため)