融けないかき氷-星辰館〜保江邦夫オフィシャルサイト

融けないかき氷

2018.04.05

 先日の土曜日の朝のこと、二年前に僕を参議院選挙出馬へと背中を押して下さった高貴なお方からサプライズなプレゼントが届きました。なんと、迷彩グッズマニアの僕のために「迷彩革靴」、しかもストリートダンサー用の特殊なゴム底になっていて地面との完璧なグリップが実現されています。まさにストリートダンサーならぬストリートファイターにあこがれ続けてきた僕にはピッタリのプレゼントの到着のおかげで、低血圧で朝に弱い僕でもその日は朝からハイテンションになったために行動開始!

 実は、二週間ほど前に大阪の知り合いのメゾソプラノ歌手が共演を依頼するテノール歌手の方がもたらして下さっていた情報の中に、「東京の江東区にある口の中に入れた瞬間に雪のように消えてしまう『かき氷』を冬でも出す甘味処」というのがあり、高校の頃から夏には必ず通っていた岡山の「カニドン」という喫茶店の「融けないかき氷」が日本一だと信じてきた僕の頭の隅に引っかかっていました。何故なら、その「カニドン」のかき氷は最後の最後まで融けて水にならず、氷の状態のまま少なくなっていく不思議なかき氷だったのですが、その「カニドン」のかき氷もまた口の中に入れた瞬間に消えてしまっていたのです。

 ちなみに岡山は「ミル金(ミルク金時)」の発祥の地として知る人ぞ知る場所なのですが、それはその昔、旧制第六高等学校の学生がかき氷に小豆あんを入れてコンデンスミルクをかけるように店の主人に頼んだことで生まれたものでした。恐るべし、岡山の底力! おまけにお教えしますが、岡山は「カラオケボックス」の発祥の地でもありますぞ!

 昨年の秋には、少し前のミニメッセージでご紹介した二歳年上の頼りになる従兄といっしょに岡山で移転したという噂の「カニドン」を探し回ったあげく、仮店舗で夏の間しかやっていないということまで突き止めることができたのですが、結局あの懐かしい「融けないかき氷」を口にすることはかないませんでした。そんなわけで、江東区の甘味処のかき氷が気になっていたのですが、このところのハードスケジュールと風邪のせいでその店を探し出して試食してみようという元気が出てこなかったのです。それが、サプライズの素晴らしいプレゼントを手にした、いや、ストリートダンサー用の迷彩革靴を足に履いた瞬間ムラムラと、いえいえ、モリモリと力がみなぎってきたのですから、僕がすぐに愛車のミニ・クーパーを地下駐車場から出動させないわけはありません。

 途中、前の車の後部にミニ・クーパーの姿がボンヤリと映っていましたが、それをカメラに収めるくらいに気分壮快だったようです。清澄庭園から南に少し下ったところ、地下鉄では都営大江戸線の「門前仲町駅」の近くにその甘味処はありました。

 十メートルほど行き過ぎたあたりに都合よく有料路上駐車の白枠が道路に描かれていましたので、ミニ・クーパーをそこに駐めてパーキングチケットを購入。これで一時間はこのあたりをうろつくことができます。店の前まで歩いていくと、「甘味処 由はら」という大きな看板とサンプルのショーケースが味のある雰囲気を醸し出しています。そして、サンプルの上の段の左側に、確かに幾つかの典型的なかき氷のサンプルを見つけることができました。

 ここだ! 意を決した僕は、ドアを開けて店の中に入っていったのです。

 上品なお年寄りの女性がにこやかに闖入者たる僕を出迎えて下さり、メニューの中から「氷あずき」を選んで注文した僕の期待は大きく膨らんでいきます。待ち時間もなく出てきたかき氷は上品な甘さで、話に聞いていたとおりスプーンで口に入れた瞬間に雪のようにサッと消えてしまいます。しかも、ほとんど食べ終わりかけた頃に気づいたのですが、その「氷あずき」もまた最後までまったく融けなかったのです。まさに岡山の「カニドン」のかき氷と同じです! 素朴な美味しさもまったく同じ。その上、このお店は「カニドン」とは違って年中、つまり冬でもいつでもこの融けない(でも口に入れた瞬間に雪のように消える)かき氷を出してくれているのです。

 やはり、恐るべし東京、ですね。

 かき氷を出して下さったお店のお年寄りの女性に最後まで融けないのに口に入れた瞬間に消えてしまったことを感謝と感動と共にお伝えしたところ、「昔のままの氷を使っていますから」と笑顔で秘密を教えてくれました。江戸っ子というか、やはり東京下町の女性は太っ腹の女将さんですね。

 気分よく店を出て、路上駐車してあったミニ・クーパーのところまでほんの二十秒程度歩いていきました。

 すると、歩道の側に地域の案内地図が掲示されているのに気がつき、覗き込んでみると、何と赤色で「現在位置」と記されたところのすぐ下側に少し前にマスコミを賑わせた「神社殺人事件?」で有名(?)になって僕までもが名前を覚えていた「富岡八幡宮」があるではありませんか!

 驚いて車を駐めた場所から甘味処とは反対方向の歩道沿いに目をやると、何ともうその場所から、富岡八幡宮の真っ赤で大きな鳥居が見えたのです。そう、たまたま、僕は愛車を富岡八幡宮の大鳥居のすぐ脇の路上に駐車していたのです! 何という神様の計らいか、はたまた意味のある偶然のなせる業なのか・・・。

 大鳥居から本殿のほうを眺めてみると、意外にもずいぶんと立派な本殿で、おまけにあのような事件があったにもかかわらず境内の中は清々しい気で満たされていました。興味が湧いてきたし、パーキングチケットを見るとまだ二十分は駐車していてよいことになっていましたので、本殿まで歩いていって参拝させていただくことにしたのです。

 本殿の手前左側に「お手水舎」があったのですが、普通は龍の口から水が流れ出ていることが多いのに、ここ富岡八幡宮ではご覧のように金鳥、いや金色に輝く二羽の鳳凰のくちばしから勢いよく水が放たれていました。何故金色なのか不思議に思った僕の脳裏に浮かんだのは、やはりあの事件が宮司の座を争ったあげくのことだという事実でした。しかし、絢爛豪華にしてしまうという愚かな人間の営みがあってもなお、この富岡八幡宮の本殿も境内も実に素晴らしい場所で、この僕でさえ参拝の後に思わず御守りを求めてしまいました。

 それに、あんな事件の影響など微塵もなかったようで、参拝客が次々に訪れてくるため、幾ら待っても本殿前が無人になるタイミングがなく、駐車制限時間がまもなく切れようとしていたためやむなくご年配のお二人が写り込んでしまった写真しか撮れませんでした。

 御守りを手にした僕がミニ・クーパーのところまで歩いて戻る途中、最初に境内に入ってくるときには気づかなかったものが二つありました。一つは、ガラス張りのコンクリート製の大きな車庫の中に展示されていた巨大な御輿だったのですが、それがまた手水舎の金鳥と同じく全体が黄金色に輝いていたのです。ここまで徹底した拝金主義があのような不幸な事件につながったのでしょうか?

 でも、どうやら金色一色ではなかったようです。というのは、帰りがけに気づいたもう一つのものというのが、何と江戸時代に精密な日本地図を作成した伊能忠敬の銅像だったのです。何故ここにあるのか? 銅像の背後に建てられた記念碑に刻まれた説明によると、今から二百年ちょっと前に伊能忠敬が日本全土の測量に出発したのがこの地点だったとか! 意外な事実をこうして見つけることができたのですが、それというのもその日の朝に届いたサプライズのプレゼントのおかげです。やはり、気の利いたプレゼントというのはこういう素晴らしい効能があるものなのですね。大いに、勉強になりました。

 しかし、そこはやはり「好事魔多し!」です。自分一人で最高に盛り上がった気分で愛車ミニ・クーパーを転がして白金に戻る途中、赤羽橋南交差点で赤信号に引っかかったときに雲ひとつない真っ青な空を背景に朱色の東京タワーが美しく輝いていました。これほど綺麗な構図もめったにないので、僕は思わず携帯電話を取りだしてフロントガラス越しにシャッターを切ったのです。

 その直後、何気なくルームミラーに目をやると、なななななんとそこに映っていたのは警視庁のパトカーのフロントグリルではありませんか!! 数日前のこと、東京にミニ・クーパーを持ってきてほぼ一ヶ月ちょっとになるタイミングで初めて警視庁に交通違反で検挙されてしまった記憶が生々しく蘇り、コソコソと携帯電話をしまってから車を発進させました。その後幾つかの信号を曲がったときに何故かそのパトカーがずっとついてきていたため、どこか道が広くなったところで停車を求められるのではと、戦々恐々の気分でハンドルを操っていたのですが、幸いにも「一の橋交差点」に向かう狭い道へと左折したところでパトカーは離れていってくれました。

 ホッと胸をなで下ろしたのですが、都内中心部って、本当にパトカーが多いのですね。とほほ・・・

 保江邦夫

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