先日の土曜日のこと、『心の青空のとりもどし方』(海鳴社)というすばらしい本を出版されたばかりの、児童カウンセラーとして活躍されておいでの小学校教諭・加藤久雄先生と元バレリーナでやはり小学校教諭の奥様・亜紀子先生が僕を訪ねてきて下さいました。昨年12月にもお会いしていましたが、年末年始もないくらいお忙しい過密スケジュールでたくさんの子ども達に伴走していたお二人が、このままでは自分達もパンクするかもしれないという潜在意識の危険信号を察知したために、僕に会ってホッと一息つこうと、時間をやりくりして群馬から出てきて下さったのです。
ともかくまずはご一緒にお昼をということで、白金商店街の南の端にある小粋なイタリアンの店に入り、確かにお疲れのご様子が見て取れるお二人にはビールで、僕にはイタリア直輸入の天然炭酸水で乾杯しました。軽いパスタのランチメニューで談笑するうちに、お二人ともにかなりのストレスを溜め込んでいらっしゃることに気づいたとき、ふと僕の頭に例の「明治通り」を辿って東京都心部を愛車のミニ・クーパーで一周したときのことが浮かんできました。すぐに一計を案じた僕は、昼食後のカプチーノもそこそこに何が起きるのか不思議に思い始めたお二人を急かして、白金商店街を早足で通り抜けたところにある高層のオフィスビルに向かったのです。
僕が入り口でカードキーをかざすと、閉ざされていた地下駐車場の大きなシャッターが開いていく様は、もう既に充分非日常的な雰囲気を醸し出しています。頭の中に『国際救助隊・サンダーバード』の出動時に流れる調子のよいテーマ曲が響き渡っていたのは僕だけではなかったようで、やはり子どもの頃に放映時間になったらテレビにかじりついていた久雄先生も同じく目を丸くして喜んでくれていました。地下施設に入っていくと、そこに待っていたのはサンダーバード2号ならぬサンダーバード920号こと真っ赤なミニ・クーパー。「きゃー、かわいい!」という亜紀子先生の黄色い声が地下秘密基地にこだまするのと同時に、お二人は互いに手を取り合って踊るような仕草で喜んで下さいました。
さあ、いざ出動! カーステレオからは『サンダーバード』のテーマ曲ならぬ軽快なタンゴのリズムが流れてきます。
ご主人の久雄先生を後部座席に押し込み、美しい奥様の亜紀子先生に助手席に乗っていただいて、既に勝手知ったる明治通りを走って渋谷、原宿、新宿、池袋、浅草、隅田川、東京スカイツリー、亀戸、そして夢の島へ。さらには湾岸道路から晴海通りを経由して銀座中央通りから東京タワーを眺めながら白金へと戻る、全長50キロメートルほどの東京都心大繁華街ドライブへと出発です。名付けて「Tokyo-Pass-By」(トウキョウ・ララ・バイではありませんぞ・・・)。さっきまで疲れの影の見え隠れしていたお二人はといえば、サンダーバード920号に乗り込んでからというもの、開放感のある前後左右のウィンドーガラス越しに繁華街で道行く人々の様子を見て狂喜乱舞。
「まるで、神様になって覗き穴からこの世でがんばってる皆さんを暖かく見守っているみたーい!」
そう、亜紀子先生が思わず叫んで下さったように、道行く人達はミニ・クーパーに乗って明治通りに沿って走りながら繁華街の様子に見入っている我々三人のことなどまったく眼中になく、それぞれの人達があたかも我々三人の存在にまったく気づかないままに自然な動きを見せてくれるのです。まさに人間が神様に見られていることなどまったく知らずに好きに生きている様子を神様がご覧になっていたらこうなのだろうなと容易に思えました。だからなのか、ミニ・クーパーのウィンドー越しに見えた道行く人々は、有名なラーメン屋で長蛇の列を作っている人達も、路上喫煙に勤しむ人達も、横断歩道を我先にと駆け抜ける人でさえも、どの人も本当に愛おしく思えてなりませんでした。まるで、本当に神様になって東京での人々の暮らしぶりを覗いて廻っているかのように感じられる、それが「Tokyo-Pass-By」の真骨頂だったのかもしれません。
毎日純真な子ども達に接しているお二人だからこそ、そんな神様のお気持ちに接することができていたのでしょう。一方、運転席の僕はといえば、脇見運転さながらに変わった名前の飲食店を見つける度に、お二人を現実世界へと引きずり降ろしていたのです。
「あ、カリントウギョウザ・・・って、どんな餃子なんだろう? おいしいのかな? 餃子の皮が花林糖みたいにカリカリに揚げられてるのかも・・・」
「あ、そこの角にフランス国旗を出してる小さな店があるけど、あの店は絶対に美味しい料理を出しますよ。僕は鼻がきくから、フランス料理とイタリア料理の店は絶対に外しません。この場所を憶えておいて、今度是非行ってみましょう!」
そんな食い意地の張った僕の言葉の一つひとつに対してすら、「ホントに風変わりな店ですよね」とか「そうそう、保江先生は初めてのお店を選ぶときに本当に見事に当てて下さるんですよね、いつも。これまで外れたことは一度もありませんし」などと弾んだ声で応えていただき、ミニ・クーパーの車内に、はち切れんばかりの笑顔と笑い声が途切れることはありませんでした。ふと通り過ぎざまにビルの大きなガラス窓を見ると、僕のミニ・クーパーの真っ赤なボディーと真っ白い天井がボンヤリと映っていたので、お二人にもそれを見てもらいました。
「神様って、こうしてこの世の中の鏡のようなものに映されてしかこの世でのご自分のお姿を見ることができないのかな」
まるで自分達が本当に神様になったかのようにして明治通りを駆け抜けていったのですが、出発が土曜日の午後3時過ぎだったこともあり、渋谷駅前と新宿駅前ではそこそこの渋滞に巻き込まれてしまいました。それでも、神様の視点で東京の繁華街を行き交う皆さんの姿を覗き見している我々三人はイライラすることもなく、ただただ人々の幸せそうな、あるいは懸命に生きている姿を目の当たりにできることがうれしかったのです。
夢の島の明治通りの終点の先に到着したのは僕の目論見よりはずっと遅くなってしまったため、お二人に見ていただきたかった夕日に輝く東京ゲートブリッジには既に夜の帳が降りてしまっていました。でも、車のヘッドライトや港の街灯がホタルのように光っていた景色もまた、お二人の心から溜まりに溜まったストレスを取り去ってしまう特効薬になったようです。わざわざ車から降りて海岸沿いの道路脇からほのかに浮かび上がったゲートブリッジを眺めていたお二人の表情は、薄暗い中でもはっきりとわかるほどの輝きを取り戻していたのですから。
さあ、後は湾岸道路をかすめて晴海通りから夜の銀座中央通りを抜けて白金の出発点に戻るだけ・・・。
こうして無事に「Tokyo-Pass-By」を終えて白金に戻ったのが夕方の6時半頃で、やっと運転から解放されてワインを飲めるぞと思った僕は車庫までほんの200メートルの場所に小粋なイタリアンの店があるのを発見。すぐに後部座席の久雄先生に向かって叫んだのです。
「この左側にある小さな店、絶対に当たりですから車を置いたら飲みに来てみましょう。戻ってきたときに店がわかるように、写真を撮っておいてください!」
急なことだったので大いにあわてたのか、駐車場を出るときに確認した写真にはこんなブレた映像しか残ってはいませんでした。いえ、手ぶれではなく、ミニ・クーパーに特有のあの遊園地のゴーカートのようなガタガタするサスペンションのおかげで、走っているときにシャッターを切ったら誰でもこんな画像しか残せないのです。この最後の写真以外のものはすべて赤信号で停車中に映していたために、何とかまともに写せただけのこと・・・。
でも、そんなガタガタのサスペンションもまた、ミニ・クーパーの魅力の一つなのです。
また、行きたいな「Tokyo-Pass-By」・・・。
そう、今度はあの美人校長先生をお誘いしてみよう。あの無駄に広すぎた横浜のエレベーターでの「Alte Liebe」の失敗を取り戻さなくっちゃいけないし・・・。
なんちゃって。
保江邦夫