新型コロナウィルスの脅威に首都東京が震え上がるという前代未聞の状況の中、暗いニュースばかりの世の中から何かちょっとイイ風景を切り取りたいと思っていたところ、窓から隣の町工場の屋上を見たとき冬の間には見かけなかった雀を発見。
そうか、これが「春の足音」か!
そう直感した僕はすぐに部屋を出て、いささか荒んだ雰囲気が蔓延し始めた東京の中に、せめて少しはホッとできる「春の足音」つまり春の兆しを見つけることにしました。
で、港区白金にある築40年の古いマンションから極端に人通りの少なくなった白金商店街を歩き始めたとたん、目に止まったのはアスファルト舗装のひび割れから一輪の可憐な花を咲かせていたタンポポ(多分・・・僕は生物の博物学には疎いのです)でした。
いやー、これぞ東京の下町にひっそりとたたずむ「春の足音」間違いなし!
そして、古いシャッター商店街から明治通りへと出た僕は、米軍関係者のみが宿泊できる治外法権のホテル・ニュー山王の向かいビルの外壁に大好きな油絵「夜のカフェテリア」(ゴッホ画)が大きく描かれているのを見つけました。
まあ、これは「春の足音」とはいえないでしょうが、やはり好きなものは好きなので・・・。
そのまま明治通りを歩いて広尾を過ぎた頃にはご覧のように桜も咲き始めていました。
遠くに新しい渋谷駅の高層ビルも見えて、如何にも東京の春というイメージですね。
で、広尾から明治通りを離れ、今度は六本木のほうに歩き始めます。
そうしてたどり着いたのは「六本木ヒルズ」だったのですが、ふとヒルズの高層ビルを見上げたとき、晴れの日なのに真上に出現していた虹が僕の目に飛び込んできました。
まるで七色に輝く龍が天空を昇っているかのようです!
もちろん、先ほどのゴッホ同様、「春の足音」ではないでしょうが、こんな奇跡的なことが大好きな僕は、やはりここで堂々とお見せすることにします。
この不思議な虹を見た僕は、急にある絵が見たくなりました。
それはフランスで活躍する松井守男画伯が描いた巨大な青い昇り龍の絵です。
思い立ったが吉日、地下鉄を乗り継いで御茶ノ水へと移動することにしました。
新御茶ノ水駅から神田明神に向かって歩いていたとき、ふと湯島聖堂を見ればそこにも桜が咲いていました。
これは、文句なく「春の足音」ですね。
そのまま神田明神の鳥居をくぐっていくと、門の横にひっそりと咲く枝垂れ桜を見つけました。
当然ながら、これも立派な「春の足音」!
帰りは神田明神から白金まで歩くことにしました。
江戸の総鎮守だった神田明神の後は、徳川家の菩提寺である増上寺に寄ってから帰りたいと思ったからです。
で、2時間近く歩いて到着した増上寺でも、ご覧のようにまさに正真正銘の「春の足音 in 東京」を見つけました!
芝公園の中を突っ切って白金の「四ノ橋」まで戻ってくると、僕が常連に加えてもらっている美味しいシチリア料理店の前の歩道に植えられている一本の小さな桜の木が目にとまりました。
白色とピンク色の二種類の花を同時に咲かせているのです。
これは珍しい!
うーむ、「青い鳥」ではありませんが、遠くまで探しにいった「春の足音」は、
最初に見つけた一輪のタンポポと同じくすぐ近所にあったのです!
「青い鳥」の物語なら、身近にずっとあった幸福を見つけてめでたしめでたしとなるところですが、僕の見つけた「春の足音」はまだまだ終わりません。
この日の夕方は、娘のところで夕食をご馳走になるため、愛車ミニ・クーパーを稲城まで転がしました。
天現寺インターから乗った首都高に続いて中央高速を小一時間走ると、そこはもう神奈川県と接する東京の田舎(梨畑が広がるのですから!)稲城市です。
到着してみると、小さな川沿いの桜並木がもう満開に近くなっていました。
「春の足音」は、こんな東京の田舎でもちゃんと聞こえてくるようです。
その日の夜遅くに白金に戻った翌日、昼頃に目覚めた僕はもう春が来るというのにかなり激しく雪が降っていることに驚きました!
ほとんど雪の降らない岡山市内で育った僕は、雪を見ると無条件に嬉しくなるのです。
朝ご飯というかお昼ご飯を食べに近くのトンカツ屋さんまで雪の中を歩いていくとき、知らず知らずのうちに鼻歌交じりになっていたほどでした。
ところが200グラムの白金豚のトンカツを平らげて店を出たとき、僕は大いにがっかりしたのです。
あれほど激しく降っていた雪が完全に止んでしまっていたのですから・・・。
帰り道では、当然ながら鼻歌が出るわけもなく、新型コロナウィルスによって疲弊した東京の暗い気分が頭をもたげ始めます。
せっかく前日に「春の足音」をたくさん見つけたというのに・・・。
このままでは、どんどん元気を無くしていってしまうというギリギリのところで僕を救ってくれたのは、横町を歩いて部屋に向かっていた僕の目に止まった、実に愛らしい「雪だるま」!!
見た瞬間、気分がパッと明るくなりました。
笑顔を取り戻せた僕は早速ガラケーを構えて写真をパチリ。
ふと後ろに気配を感じて振り返ると30代くらいの男性が立っていて、僕に「ありがとうございます」と声をかけてくれました。
思わず「あ、これを作った方ですか?」といささかブレた質問をしてしまったのですが、その方は「いえ、私の子どもが作ったものです」と教えてくれました。
「いやー、かわいいですよね。ありがとうございました」と頭を下げてその場を離れようとする僕に、その若いお父さんは再び「ありがとうございました」と応えて下さいました。
そこから部屋まで歩いた10分間、もちろん僕はずっと鼻歌交じりだったことはご想像のとおりです。
3年かけてやっと白金の住人になれたかも・・・と思う保江邦夫