先日のこと、久し振りに溜まった業を落としておこうと思いつき、群馬県の前橋市まで愛車のミニクーパーを飛ばしました。今までは業捨といえば広島でしたが、創始者のT先生がお年のために施術をなさらなくなってしまったため、そのT先生に認められて20年以上前から業捨を受け継がれている神原先生を訪ねようと、群馬へ足を伸ばしたわけです。前橋には東京から関越道を経由して2時間ほどで到着し、出迎えてくださった神原先生に、T先生の近況をうかがって談笑しました。その後2時間にわたって全身の業捨を受けたのですが、その拷問のような激痛によって創始者のT先生に初めて施術を受けた日のことを昨日のように思い出すことができました。
で、創始者譲りの業捨の力はというと、ご覧のように全身に赤い業捨痕が現れています。とはいえ、赤黒いものではなく明るい赤色のものなので溜まっていた業も決して深いものではなかったようです。術後に鏡を覗き込んで一安心。
しかし、5年ぶりの業捨の激痛は耐えがたく、途中で何十回も休止を願い出たり悲鳴を上げたり、我ながら実に情けない反応に終始してしまいました。とほほほ・・・。
施術場所に飾ってあったT先生ゆかりの写真を見ていたとき、「業捨を一回受けると10年分の業を捨てることができるから、5、6回も受ければ誰でも赤ん坊のときのように業がまったくない状態に戻れるんじゃ」と教えて下さったことを思い出しました。とはいえ、生まれて10ヶ月の赤ん坊の頃の純粋な僕の姿には遠く及ばないですね。
まあ、クルクルの黒い髪の毛だけはウン十年経っても変わってはいませんが・・・。
自慢ではありませんが、ここで左腕の業捨痕をアップでお目にかけましょう。赤黒くはなくて、どれも熟れた桃のような赤色・・・、ということはいわゆる「業」は少ないということになりますね。エヘン!
左腕だけでなく右腕も同じような業の深くない赤色だったことも、念のためにお示ししておきましょう。
ところが、業は少なくても講演会や稽古の連続で酷使している喉にはかなりの負担がかかっていたようで、ご覧のようにかなり濃い赤色になっています。今回の業捨施術の中で最も濃い反応が出たわけで、総合的に考えるとやはり講演会を主とした仕事柄に加え、毎月2回の東京と京都での御神事において祝詞を延々と大声で奏上し続けるという過酷な負担が喉にかけられていたことが判明しました。
とはいえ、講演会も御神事も止めるわけにもいかないので、これからも時々は群馬の前橋まで業捨を受けに来る必要があることは明々白々。だが、but、しかし! 今回久し振りに受けて味わった悶絶するほどの業捨の痛みにはもう耐えられないと思った僕は、業捨施術所を後にした愛車ミニクーパーの運転席で、もう二度と業捨など受けに来るものかとうそぶいていたのです。あの激痛に耐えるのはもうたくさんだと言わんばかりに!
そのほんの数分後、田舎の片道一車線の細いまっすぐな一本道で歩道もないところを走っていたとき、どういうわけか僕は急に車を停止させたいと思いました。車の調子が悪いというわけではないのですが、なぜか車をどこかに停めなくてはならないと感じたのです。しかし細い片道一車線、路肩に寄せて、というわけにもいかなそうです。他の車の邪魔にならないようにどこかの駐車場に入るしかないと考えていたところに、明らかに店の前の駐車場といった空きスペースが数台分空いている空間を見つけることができました。
よくはわからないまま、とにかくそこにミニクーパーを駐め、よく眺めてみると派手な店構えで「ヘアーサロン」と記されています。美容院かと思ったのですが、反対側の塀に描かれたこれまたノリのいい看板を見ると散髪屋さんのようでした。
その散髪屋さんのお店自体もど派手な色に塗られていて、「なんでこんなところに車を駐めてしまったのか実に不可解なことだ」と僕は唸りました。普段こんなところで散髪する趣味はないからです。
それでもなんとなく興味が湧いてきた僕は、照明の明るい店内の様子を入り口のドア越しにソッと眺めていたのですが、どういうわけか自分の意志とは関係なく身体が勝手に動いてドアを開けてしまったのです。しかも、僕はワケあって、年末までの半年の間は絶対に散髪屋には行かないと堅く決意していたにもかかわらず・・・です!
中に入ってみると当然ですが散髪屋さんで、左半分が鏡と散髪椅子が5組ほど並んだ理髪コーナー、右半分が待合コーナーで一人のお客さんがコーヒーを飲みながら本を読んでいました。その横に座っていた野球のユニホームのような赤いシャツを着ていた男性がスッと立ち上がり、「どうぞ」と声をかけて一番奥の鏡の前の椅子に導いてくれたのです。もとより年内は髪を切らないと決めていた僕は、椅子に座る前にその店のご主人らしき男性に向かってトンでもない注文を出したのです。
「あのー、まったく切らないように散髪してもらいたいのですが、可能でしょうか?」
一瞬目を丸くしたご主人が、直後に「うちは散髪屋なんですが・・・」と返事をしてくれたのに対し、僕は
「はい、わかっています。普通に調髪、洗髪、顔ソリなど標準的な散髪をしていただきたいのですが、ただ、1ミリといえども髪自体は切らないままでやってほしいのです・・・櫛を入れるだけとか・・・」
「はあ、それでよいということなら、そういたしますが・・・」
こうして、鏡の前に座った僕だったのですが、まだ困惑気味のご主人に理解してもらうために、あと半年は髪を切らないことにした理由を説明することにしました。これは聞くも涙、語るも涙の話なのです・・・。
実は、岡山でもう30年以上通っていた馴染みの散髪屋さんがお年で仕事が辛くなったということで、今年のゴールデンウィーク前に店を閉めてしまったのです。それでどこか他の散髪屋さんを新しく開拓しなくてはならなかった僕は、この夏、今住んでいる白金から歩いて10分くらいのところ、慶應大学の三田キャンパスの手前に古くからやっていそうな小さな散髪屋さんを見つけたのです。お婆ちゃんが一人でなさっていて、ちょうど誰も他に客がいなかったのでお願いすることにしました。
「長年やってきたけれど、こんなにクルクルの天然パーマは初めてです。どうしましょうか?」
と聞いてきたお婆ちゃんに、僕はそれまでの馴染みの店と同様に返答したのです。
「はい、5ミリほど切るだけにして下さい」
20分後、なんと僕の頭は髪の毛を頭皮から5ミリだけ残してほとんど丸刈り状態になっていました。ビックリどころでは済まされない事態でしたが、その気のいいお婆ちゃんに文句も言えず、もう二度と散髪には行かないと決意してその散髪屋を出たのです。
東京道場のみなさんが、8月の稽古に現れた僕の姿を見て仰天したのは、こういうわけだったのです。
なので、今日だってもちろん散髪屋に入りたくなるわけはなかったのです。しかも、自分が住んでいる白金から高速道路を2時間以上もぶっ飛ばしてしか到着できない遠いところにある店に! それなのに、どういうわけか、引き寄せられるようにして僕はこの店の前に車を駐めてしまった。駐めたいと思ったのです。
僕の話を聞いたご主人は、僕の注文条件を忠実に守ってハサミをいっさい入れずに櫛だけで見事な調髪技術を披露してくれました。ハサミが出てこないことで僕も安心し、警戒心が解かれていきます。ごくごく平凡な、和やかな散髪屋の光景として、当たり障りのないような会話が交わされ、シャツの襟から出ている僕の首筋の業捨痕が目に止まったご主人が、
「どこかに強く打ったのですか?」
と首を指差しながら何気なく聞きました。別に隠す必要もないので、
「ついさっきまでこの前の道路を向こうに5分ほど走ったところにある施術所で、業捨という特殊な治療を受けていたのです。シャツの上から先生が親指の腹でこするだけなのですが、具合の悪い場所のときには悲鳴を上げるほどの激痛が走り、皮膚もこんな赤い内出血のような状態になってしまいます。でも、終わってしまうと痛いこともなく、皮膚が傷ついているわけでもないのでこうして触られてもお湯が触れてもしみることはまったくありません」
と業捨の説明をしました。
するとご主人は、隣の席でご主人の奥さんらしき女性に髭を剃ってもらっていた若い男性客を櫛を持った手で指差しながら、
「このお客さんは整体師なので、きっとその業捨というものに興味を持ちますよ。しかし、そんなに近いところに面白い治療をなさる先生がいるんですね、まったく知りませんでした」
と驚いた様子でした。整体師さんというその男性も
「痛みで脳を刺激してストレスを除去するやり方なのかもしれないなあ」
と興味津々です。
その後、僕も髭を剃っていただき、洗髪と最後の調髪が終わったとき、ご主人が
「コーヒー飲まれますか?」
と聞いてくれました。一瞬どういう意味かわからなかったというか、散髪屋さんで帰りがけにガムをもらうことはあったのですが、コーヒーを飲むかどうかを聞かれたのは初めてだったので、僕は少しだけフリーズしていたようです。それに気づいたご主人は
「いや、うちはサービスで皆さんに美味しいコーヒーを飲んでもらうんです。あそこにいる人たちなんて、今日はコーヒーを飲みにだけ来てるのですよ。だから、どうぞご遠慮なく、もしよかったら飲んでいって下さい」
と笑いながら説明して下さいました。
こうして、散髪屋さんの店内にある待合コーナーのソファに座った僕は、他の数名の常連客に挨拶をして、淹れていただいたコーヒーを美味しく頂戴したのです。見ると、それぞれの常連さんたちはコーヒーを飲みながら本を読んでいらっしゃるようで、待合コーナーの背後には大きな本棚があるのにも気づきました。そちらに目をやると、ふーむ、なるほど、といった具合に、さとうみつろうさんをはじめ、有名な著者の皆さんによるスピリチュアル系の本が目白押し。さらに壁を見やると、愉快な文字で気の利いた元気になる標語などが書かれた色紙や、美しい風景写真だけでなく、これまた著名なスピリチュアル系の著者によるサインなどが所狭しと飾られていました。
笑顔で眺めていた僕に、ご主人が「面白い散髪屋でしょ? 遠いですが、またこちらのほうにお出でのときには顔ソリだけでもかまいませんから、是非お立ち寄りください」と声をかけて下さいました。そのタイミングで立ち上がり、礼を告げて立ち去ろうとしたとき、ドアが開いて若い男性が一人入ってきました。彼もコーヒーを飲みにだけ来たとのことでしたが、名刺ではなくご自分のこれまでの生き様を綴った冊子を手渡してくれて、ご主人が「この若いのは小学校の先生をしてるんですよ」と紹介して下さいました。
結局、その若い先生も含めて、店のご主人夫妻と常連客の皆さんがわざわざ店の前にまで出てきて下さって、全員で僕を見送ってくれたのです!
いやー、いったいこの体験は何だったのでしょうか? これまた自分の意志とは逆に身体が動いて、絶対に行かないと決めていたにもかかわらず、しかもこんな群馬の初めて見る散髪屋さんに入って散髪をお願いするなどということに、どんな意味があったのでしょうか?
本当に、神様は時として不可解なことをなさるものです・・・。
頭を傾げながら愛車のミニクーパーを飛ばしていたとき、店を出てからずっと、つまり見送って下さった皆さんとお別れしてからずっと、何故か気分がよく鼻歌交じりで運転しながら「またあの散髪屋に行くのもいいなあ」と思い始めている自分に気づきました。しかし、あと半年は髪をまったく切らずに伸ばそうと決心している身で、しかも片道2時間以上も高速道路を走ってまで散髪屋に行くのは、どう考えても不経済極まりなし。費用対効果は最悪です。
ところが、but、しかし!
高速道路代金やガソリン代などを考えてそんな馬鹿げた行為はやめようと思ったとき、悪魔が耳元で囁きます。
「髪を切りもしない散髪屋に行くのに高速道路代金とガソリン代を使うのは費用対効果は最悪だが、散髪屋の前に今回のように業捨に行くのであれば費用対効果はそれほど悪くはないぜ」
なるほど、それも一理ある話だ! そう納得しかけたとき、僕の前を走る車のナンバープレートを見てびっくりしました。何故なら、「5678」だったからです!
これまで皆さんには伏せていたのですが、僕の愛車ミニクーパーのプレート番号はご覧のように「1234」にしていたのです。
ということは、そのとき高速道路の上で相前後して走る2台の車(しかも2台とも外車)のナンバーが「1234」と「5678」の連番になっていたという、実に希有な瞬間だったのです。つまり、これはきっと神様の思し召しに違いありません。
そう気づくことができた、というか、納得した僕は、毎月群馬で業捨を受けた後にあの愉快な散髪屋さんに立ち寄らせてもらうことに決めたのです!
喉を酷使している僕を助けたくても、業捨のあまりの痛みに悶絶して二度と業捨を受けないとうそぶいていたのでは神様も手の出しようがありません。そこで、何とか僕の決意を止めさせて業捨に行くように仕向けて下さったというのが、あの散髪屋さんの駐車場に愛車を止めてしまった不可思議な出来事の本意だったに違いない・・・。2時間後に夜の東京都心に戻った僕は、そう確信していました。上のミニクーパーの写真は、まもなく白金に到着というときに低い白雲にくすむ東京タワーの前で記念撮影したものです。
翌日は打って変わって雲一つない青空が広がっていたので、比較のために再度カメラに収めてみました・・・。
いやー、やはり東京タワーは綺麗ですね。
やはり神様に護られている保江邦夫