先日のこと、所用があって都営地下鉄三田線に乗ったところ、どういうわけか降りるべき駅を間違えてしまい、一駅分の道のりを歩く羽目になってしまいました。遠くに見えた慈恵医大のビルが記憶にあったため、それを目印にしてかろうじて目的地に向かって歩き始めることができたのですが、途中で中国人とおぼしき観光客がひっきりなしに入っていく大きなお寺の山門の前を通り掛かりました。一度は通り過ぎたのですが、いったいなぜこんなに外国人観光客に人気なのか、急に気になった僕は、わざわざ山門の前まで戻っていったのです。
すると、その立派な山門の向こうには、僕が大好きな「東京タワー」が見えているではありませんか!
しかも、よく見ればかなり大きくかつ立派な山門で、京都ほどではないにせよかなりの威容を誇っています。
で、その圧倒的な存在感を放つ山門を潜って広い境内に入ってみると・・・、緑に囲まれたこれまた大きな鐘撞き堂がありました。おまけに、その後ろからも僕の大好きな東京タワーがのぞいています。
鐘撞き堂を右に見ながら境内を奥に進んでいくと、やはり立派な本堂が現れてきます。その右後ろにも、はい、僕の大好きな東京タワーが!
近代に再建された本堂の伽藍からは、ご覧のように東京タワーに手が届きそうです。このお寺からの東京タワーの眺めは実に格別ですね。
もちろん、本堂に鎮座まします御仏もすばらしい雰囲気で、その前では誰しも極楽浄土に思いを馳せることができそうでした。
本堂の右横には小さな御堂もあり、様々な法要が行われているようでしたが、東京タワー好きの僕にはその背後にそびえる東京タワーについつい目を奪われてしまいます。東京タワーにばかり注目していたために、境内に入ってからもこのお寺の名前さえ知らずにいたことにすら気づいていませんでした。
東京タワーを見上げるアングルとしては、この御堂の背後に回るのが一番よいだろうと直感した僕は、御堂の右横から広がっていた繁みの中を歩いていったのですが、しばらく進んだところで東京タワーの右に「徳川家霊廟」と記された木の看板を見つけてしまいます。
えっ、と思ってさらに奥に進んでいけば、東京タワーの下に古い重厚な門が現れました。その門には徳川家の家紋である「三ツ葉葵」が並んでいることからも、この奥に徳川家の霊廟があることがわかります。
霊廟の門をじっくりと眺めてみると、全部で10個の三ツ葉葵の御紋が並んだ重厚な扉が厳重な錠前で封印され、その両側に二匹の龍が描かれています。
緑青が出ていることから、この霊廟の門は全て銅板で覆われていることがわかりますが、建立された当時は金色にまぶしく輝く門だったに違いありません。
右には昇り龍が勢いよく天を目指し、左には天から舞い降りてきた龍が今にも雷鳴を轟かしそうです。
この門は開かずの門になっていて、徳川家の霊廟を見学したい場合には拝観手続きを経た上で左奥にある小さな通用門から入ることになっていました。もちろん、その背後にもちゃんと東京タワーがのぞいています。
霊廟の一番奥が、東京タワーに最も近い場所で、そこから見上げた東京タワーの姿にはとても印象深いものがあります。その場所にはもちろんお墓があったのですが、東京タワーを眺めていた視線をそのまま降ろしていくと・・・。
そこに奉られていたのは徳川家第二代将軍の徳川秀忠公とその正室であるお江の方でした。そして、そのお墓の前に立ったとき、僕はどういうわけか涙ぐんでしまったのです。おまけにその場に土下座までして秀忠公に詫びを入れていました。「せっかく将軍職を三男の秀忠に譲ったにもかかわらず、自分は隠居したはずの駿府城と伏見城で政の実権を握ったまま世を治めていたため、二代将軍としてはさぞ悔しかっただろう。どうかこの父を許してやってくれ」という気持ちが溢れてきたからです・・・。
そう、今年の3月末頃から何人かの霊能力者の方々に、この僕は徳川家康の魂を受け継いでいると言われてしまい、久能山の東照宮にある家康本人の墓にも御参りに行ったこともあったのです。その直後に、間違えるはずもない地下鉄の降車駅を間違えてしまったために地上を歩いていたところ、なぜかこのお寺に入ってしまい、気がつけば徳川家康の三男である二代将軍秀忠公の御墓の前で詫びている・・・。
そして、墓石を見上げた視線の延長線上にあったのは・・・、そう、僕の大好きな東京タワー。
ひょっとすると、小学校6年生のときに親父に連れられて初めて東京タワーを見て以来、僕が東京タワーを大好きになっていたのは・・・、徳川家康の魂として三男秀忠に対する詫びの気持ちを常にこの墓前で伝えようとしていたからなのかもしれません。
9月15日に文京シビックホール「小ホール」で開催予定の『令和元年秋の家元放談会~徳川家康の智恵を活かす』では、このことも含めて徳川家康の魂を受け継いだ者として東京の未来を如何にして安寧なものにしていくかについて詳しくお伝えしたいと思います。
この紋所が目に入らぬか・・・あ、これは水戸光圀でしたね、と苦笑いする保江邦夫