久能山東照宮参拝-星辰館〜保江邦夫オフィシャルサイト

久能山東照宮参拝

2019.08.01

 2019年の4月1日に新年号が「令和」となると報道されたとたん、どういうわけか僕がそれぞれ絶対的な信頼を置いている3人の女性霊能力者の方々から独立に、僕が徳川家康の魂を受け継いでいるというぶっ飛んだ連絡をいただいてしまいました。しかも、その中のお一人は、是非とも久能山の東照宮に行って家康の墓参りをしてこいとまで告げてくださったのです。

 ということで、新しい「令和」の御代になってすぐの「母の日」に愛車ミニクーパーを駆って、東名高速道路を一路西に向かいました。世間は10日も続いたゴールデンウィークに疲れ果てていたとみえ、首都高も東名高速もいつもと違って超ガラ空きの状態で、あっという間に駿河湾の海岸に接するサービスエリアまで来てしまいました。

 駿河湾の海が思いの外きれいだったのには安心しましたが、それでも昔はもっと透明度が高かったのでしょうね。台風直撃で壊された古いサービスエリアの建物に代わって新築なった建物の前に止めた赤いミニクーパーの車体が実に周囲の景色に映えます。

 そこからふと空を見上げたとき、太陽の方向に彩雲が見えました。まるで、東照宮にやってきたのを歓迎してくれているかのようです。

 そこからも東名高速は異常なまでに空いていて、想定していたよりもずっと早い時間に久能山までたどり着いてしまいました。カーナビはこの山の駐車場にある東照宮入口に誘導してくれたのですが、好事魔多し、そこから見上げた険しい上り階段の連なりに僕は思わず弱音を吐いてしまいました。これでは東照宮には行けない!

 そんな情けない声を聞きつけたのか、駐車場のおじさんが「日本平まで車で登ればロープウェイがあるよ」と教えてくれました。行ってみると、日本平のほうが久能山よりも標高が高く、日本平と久能山東照宮を結ぶロープウェイは「上る」のではなく「下る」ために作られていたのです。ご覧のように日本平ロープウェイ駅からは駿河湾を背景にして久能山を見下ろすことができるのです!

 徳川家康が乗った御駕籠をデザインした三ツ葉葵の御紋が入ったゴンドラに乗って久能山側の駅に向かう途中、正室の御姫様が乗った御駕籠という想定のゴンドラとすれ違います。

 ゴンドラは5分ほどで久能山東照宮本殿下の駅に到着しました。しかしロープウェイといえば普通は「上る」もの。「下っていく」ロープウェイに先に乗るなんて、不思議な違和感を覚えてしまったのは僕だけでしょうか?

 ともかく、こうして久能山山頂下にある東照宮近くまで楽してたどり着くことができました。とはいえ、東照宮参拝駐車場から見上げた1159段の石段のうち、最後の50段ほどは自力で上らなくてはいけません。これがまた一段一段の幅が半端ではなくて結構きつい作業になります。写真を撮る余裕もありませんでした・・・。

 それもクリアーしたところにガラス張りの茶席があり、中を見ると有名な徳川家康の肖像画が掛けられています。

 その脇には、なんと戦車や軍艦、さらにはガンダムのプラモデルまでもがガラスケースに整列して奉納されていたのですが、プラモデル製造メーカーのほとんどが起業した静岡ならではの光景です。

 もちろん、飛行機やヘリコプター、さらには鉄道車両のプラモデルも並んでいました。

 そこからさらに険しい石段を上っていくと、ようやく参拝目的である徳川家康のお墓に到着。

 この久能山の山頂下に埋葬されたのは家康が他界したその日の内だったそうですが、それは家康本人の遺言によるものだったとか。何故に久能山に埋葬させたのかというと、久能山はちょうど伊勢神宮と江戸城を結ぶ直線上にあって、家康がその没後も伊勢神宮の力を背に受けながら自分が拓いた江戸の街の安寧を見守るためだったそうです。

 また、東照宮本殿脇には武田信玄の山城として残されていた久能山を手中に収めたときに難攻不落の山城として活用する気持ちを込めて自ら植えたミカンの木が残されていました。僕はミカンが好物ですが、家康もそうだったのでしょうか?

 参拝も終わって山門を出ようとするとき、入山するときには気づかなかった大きな石の上に手形があるのを見つけてしまいました。説明書きを読んでみると、なんと徳川家康本人の38才のときの手形が残されていて、それを複製したものをパウチカバーして石の上に貼り付けてあったのです。

 そのとき、ふと4月以来の3人の霊能力者の方々のご指摘を思い出した僕は、何気なく自分の手を伸ばして家康の手形に当ててみたところ・・・。

 そう、ドンピシャピッタリ!! うーむ、家康の魂を授かったというのは、ひょっとするとこんなところにおしるしとして顕れるものなのだろうか??

 最後の最後に徳川家康との不思議なご縁を感じてしまった僕は、もちろんすぐさま社務所に立ち寄って家康の手形の複製色紙を買い求めたのはいうまでもありません。

 今度はロープウェイを上って日本平に戻り、愛車ミニクーパーに乗り込んで海岸沿いの道路を一路東名高速清水インターへと向かっていく途中、「三保の松原」の標示を見つけてしまった僕は、行ったことのなかった(というかそれまで「美保の松原」は島根県にあるとさえ信じていた)ため、驚いてその本当の三保の松原に立ち寄ることにしました。道路標識に誘導されて行くと、手前に「美穂神社」という土地の気の良い神社があったので、まずそこでお詣りさせていただきました。

 この立派な拝殿の前で背中側を振り向くと、神楽殿を通して海岸まで「神の道」がまっすぐに伸びているのが見えます。

 この神楽殿の左には御神馬を奉った御社があるのですが、近づいてみると御社の前の地面から何かが突き出していました。

 よく見ると・・・、なんとそれはタケノコ! 実に縁起のいいタケノコに違いありません。

 そして、御社の中を覗き込んでみると・・・、奉納されていた御神馬が白馬で実にカワイイというか、目や表情が本当に愛らしく印象的です。

 美穂神社を辞するときに「神の道」を鳥居越しにじっくりと拝見すると、三保の松原の海から神様がこの美穂神社にお出でになったことが実感されます。

 その「神の道」を進んでいくと、駿河湾の美しい海が一気に開ける松林が海岸に沿って続いているのですが、いわゆる天女伝説の松の木も残されていました。

この木の枝に羽衣をかけて海で禊ぎをしていた天女はさぞ美しかったに違いないと信じる保江邦夫

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