京都岡山墓参り-星辰館〜保江邦夫オフィシャルサイト

京都岡山墓参り

2019.07.04

 令和の御代になってすぐのこと、京都で白川伯王家の御神事を主宰させていただけることとなり、会場の御屋敷を訪れてビックリ。ご覧のように美しい塀に囲まれた敷地に正門から入り、料亭のような玄関から母屋の中に入ったところで僕を迎えてくれたのは・・・。

 そう、平安装束を身に纏った僕自身の写真が入った大きな額。

 知らない人が見たら、ここはどう考えてもこの写真の尊い人物が昔から所有する立派な御屋敷だと思い込むことは確実ではありませんか!
 残念ながら御神事をさせていただく漆黒の祝部殿をご披露することはできないのですが、無事に令和の御代になって最初の御神事をつつがなく終えることができました。その後は御神事に参入していただいた方々と歓談し、夕方前には京都中心部を車で離れ一路1ヶ月ぶりの岡山へと向かいます。途中丸太町から寺町に入ったところでふと左の歩道を見ると碁盤が置かれ、傍らには「囲碁本因坊発祥の地」という立て看板があるではありませんか。思わず車を止めた僕は、しばしその碁盤に見入ってしまいました。

 というのは、4月30日の平成天皇陛下御退位の日、同じ御屋敷で御退位に合わせた御神事を務めさせていただいたのですが、そのときに重要な役割を果たしたのが「碁盤」だったからです。天皇家や一条家、近衛家、白川家などに昔から伝わる神道秘儀の中で「碁盤」がそのような深い意味を持つことなど、不勉強の僕は知るよしもありませんでした。古い伝統と格式を受け継いでいらした京の公家に生まれた人のみが御神事に「碁盤」が欠かせないことを理解してこられ、幸いにもそのような御方の御希望での御神事だったために学ばせていただくことができたのです。
 そんなわけですから、令和の御代になっての最初の御神事の後に御屋敷を辞してすぐのところに本因坊発祥の地として碁盤が歩道に置かれているのを初めて目にした僕は、まるで神様が労をねぎらって下さっているかのように感じてしまいました。
 気分よく寺町から木屋町を抜けて五条大橋の手前で河原町通りに入り、そのまま九条、十条と南下して「鴨川西インター」から高速道路に乗ります。そのまま京滋バイパスを走り新名神高速道路となった道を西に向かいます。緑色の標識には「新名神」と「岡山」の文字が明記され、あと2時間ほどで久し振りに岡山に戻る心地よさに気分も絶好調。

 こうして無事に岡山に戻った僕は、翌日の晴れ間を利用してご先祖様のお墓参りに行くことにしました。お墓があるのは和気清麻呂が生まれた備前岡山の「和気」という郷で、岡山市内の自宅からは車で1時間弱の田舎です。お墓がある日蓮宗のお寺の裏山には、京都の大文字の送り火を見習ってか「和気」の「和」の字が頂上近くの山肌に描かれています。毎年のお盆の夜には大文字送りと同じに送り火が灯り、なかなかの風情があります。

 手前の川は一級河川の「吉井川」で、その河川敷には春の草花が咲き誇っていました。

 吉井川を渡る橋から上流を眺めると、如何にも低い丘のような山々が並ぶ岡山の田舎の光景が広がっています。かくいうお墓の裏山もごらんのように低い山々の連なりの一部になっています。保江家の墓があるのは「和」の字の右下にある岩肌が露出した部分の下です。

 山の際には旧山陽道の古くからの街道があり、街道に沿って集落があったのですが、今ではそれもまばらで寂しいかぎりです。

 現代から見ればなかなか味のある古い建物が街道沿いにポツリポツリと残されていますが、今でもどなたかがお住みになっているようです。

 ただし商店としてはもう営業はなさっていないようですが・・・、いえいえ、注意して見ると古い時代の看板が今でも輝いていて、ちゃんとお店もやっていらっしゃるようです。
 ところが、村の郵便局はといえば・・・、ご覧のように廃屋となってしまっています。

 「和気郵便局」と彫られた玄関も閉ざされたままで、聞けばJR和気駅の近くに新しい「和気郵便局」ができているとのことでした。

 旧街道から山のほうに入ったところに保江家の菩提寺があるのですが、稚児行列で有名な京都の本院から派遣された今の和尚様の代になってからは荒れていたお寺も少しずつきれいになっていき、今では立派な門構えの由緒あるお寺として蘇っています。

 お寺の裏から「和」の山に上っていく途中がお寺の墓所になっていて、その中でも一番小高い場所にあるのが白壁の塀で囲まれた保江家の代々の墓地です。和気清麻呂が出た和気という土地の由緒ある家柄として多くの人たちを見守り続けてきた伝統が滲み出ているかのようですね・・・なんちゃって。

 白壁の塀に囲まれた保江家の墓はといえば、このように江戸末期から昭和に至るご先祖様のお墓で混み合ってきています。というわけで、僕の父の代からは「保江家之墓」として大きな単一の代々墓にすることにしてしまいました。

 墓掃除も無事に終わり、ご先祖様に手を合わせた僕は心地よい疲れとともに岡山市内へと引き上げたのですが、その夜は近所に住む女子大の卒業生といっしょに夕食を取るために市内中心部のアーケード商店街に出かけました。そこで「令和」という新しい御代を祝う大きな垂れ幕が目に入った瞬間、「世の中がよい方向に向かい始めた!」と直感できたのです。

 あー、よかった・・・と思いつつも、中心部のアーケード商店街が夕方には閑古鳥が鳴いている状況にある現実に直面して、東京に出ていったことを悔やみ始めている自分を見つけてしまい複雑な心境になってしまいました。
 そんなセンチメンタルな気分になったためなのか、あるいは久し振りにご先祖様に挨拶をしたためなのか、夕食後に自宅に戻った僕は納屋にしまっていた父親のアルバムを取り出し、赤ん坊の頃の僕自身の写真を見つけてしまいました!
 如何ですか?
 まるで、天使ではありませんか!

やはりうぬぼれ屋だった、ナルシス保江邦夫

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