■この本はとんでもない本です。キリストや安倍晴明からの指令・伝言などが出てくるのですから。しかし小社と著者との長い付き合いから言えることは、彼はいろいろ信じ込んでしまう傾向は見受けられるものの、詐欺じみたものは微塵もない、ということです。とはいえ、超常現象などあまりにも突拍子もない本書の語りを公にすることに、出版社としてある種の躊躇があるのも事実。そこで、尊敬する宗教学者で清泉女子大学の元学長岡野治子先生に、本書の読後感をお聞きすることにしました。ドイツでの講義(八月)で忙しい中、以下のようなお返事をいただきました。読者への参考に資すること大だと思い、許可を得て掲載致します。 ――海鳴社・編集子
本書について
十六日に無事帰国しました。時差ぼけのまま、地域の自治会の催しに駆り出されていて、ご連絡が遅くなりました。
保江氏のご著書(原稿)を拝読しました。宗教、武道、物理学部門等の既成の書籍カテゴリーに収まらない、ユニークな書ですね。あえて言えば、本文にもあるように、「ある物理学者の神秘体験」というエッセイとして拝読しました。
素領域理論を背景として、諸宗教の教えの中核である「愛」や「相手を大切にする」精神を徹底して極めると、霊と現世、聖と俗、彼岸と此岸の限界を超えて、人智で把握できない現象が解読できる、というメッセージである、と理解しました。こうした霊界と人界を自由に飛翔できると、武道の世界でも奇跡のようなことが起きる、という写真入りのメッセージには驚きました。合気というのは、単なる力の足し算ではないことがよくわかります。
イエスの弟ヤコブの霊が、保江氏に注がれている、という件(マリアのお告げなど)は、新宗教の権威付けを思わせて少し引いてしまいました。しかし実体験に裏打ちされた、霊の世界理解の資質を持つ人物のエッセイとして読めば、全体に理性的、論理的に全く破綻のない、興味深い書と感じました。
素領域理論の視点から霊の世界が説明された箇所で、「肉体に霊が宿る」の表現は誤りで、「霊に肉体が宿る」が正しいという指摘は、素晴らしいと思います。キリスト教の「受肉」の思想もまさにそのことを言い表わしています。
この書を読みながら、ドイツ人オイゲン・ヘリゲルの有名な著書『弓と禅』、また近年、フィギュアースケーターの羽生弓弦さんの「安倍晴明」のパフォーマンスを思い出していました。「神が降りたようだ」とその演技が形容されました。
陰陽道については、私自身の知識が乏しいので、正当に読解できたかどうか心もとない限りですが、感想を申し上げるお約束の期限が過ぎようとしていますので、とりあえず、メールを差し上げますね。
私にはこの手の書の売れ行きがどうなのか想像できませんが、当初私がひそかに怖れたような怪しげな宗教書ではありませんね。ドイツの哲学者で物理学者として著名なC・F・フォン・ヴァイツゼッカーは、「科学を極めれば極めるほど、既成の原理・原則で説明のつかない神秘に触れる」と語っていますね。この書はそのような資質を持つ物理学者の体験が結実したものでしょう。少しでもお役に立てたなら、うれしく存じます。
気候の変化が読みにくい昨今です。どうぞお元気でご活躍くださいませ! 岡野治子