神様の遣いに会いました-星辰館〜保江邦夫オフィシャルサイト

神様の遣いに会いました

2018.12.28

 スイスで教鞭を執っていたときの教え子が名古屋大学で開催される国際学会に招待されたため日本にやってきました。久し振りに会おうということで、韓国経由で中部国際空港に降り立ったスイス人の教え子を岡山から車で迎えに行ったのは、台風21号が関西国際空港を水攻めにして長期間の閉鎖に追い込んだ日の翌日です。予定ではまさに台風21号が関空を直撃した日の午後に関空到着の予定だったので、到着便を変更していなければ僕も閉じ込められた8000人の中に入っていたところですが、台風の接近を教え子に伝えて到着便を変更してもらっていたのが幸いしました。

 無事に中部国際空港に迎えることができたのはよかったのですが、学会の前に高野山に行きたいといっていた教え子の希望をかなえることはできません。彼はもう何度も日本に来たことがあり、京都や奈良の観光地以外の日本の精神的中心地となっている高野山を訪れたいと言っていたのですが、高野山自体も台風21号の被害に遭っていて、電車やケーブルカーも不通のまま、高野山に登ることができなかったからです。名古屋から日帰りできる霊峰を、名古屋の美人秘書に教えてもらおうと考えた僕は、名古屋城の近くで宿を取り、金の鯱を眺めることができる喫茶店で軽い昼食を取りながら美人秘書を待ちました。またその間、行き先変更の理由をきちんと説明するために、まず彼には新聞に報道されていた関空の悲惨な状況を物語る写真を見せて台風災害の激しさを伝えました。スイスにはそもそも台風など存在しないため、教え子には何故これほどまでの被害が発生するのかがわからなかったのです。

 高野山に行けないなら、せめて同じような日本の精神的中心地を訪れたいという教え子のために、急遽呼び出した名古屋の秘書が提案してくれたのは、次の場所でした。

 高野山に匹敵する神社仏閣ならば、まあ名古屋近郊では熱田神宮と、元伊勢と呼ばれる滝原神宮がよいとのことでした。その日は既に午後2時を回っていたために、まず目の前の名古屋城を見物した後、熱田神宮へと向かうことにしました。

 木造で再建築する予定の名古屋城は、鉄筋コンクリート造りの現在の天守閣の石垣部分と併せた調査が入っていて中には入れなかったため、スイス人の教え子は少しがっかりした顔をしていました。ところで、僕の教え子というには、彼はえらい年寄りの顔をしていると思われるかもしれません。実はこの教え子は僕と同じ歳なのです。大学を出てから当時アフリカにいた兄貴を頼ってアフリカやインドで放浪生活を経験した後に、他の連中よりも5年遅れで大学院に入ってきた変わり種です。大学院では一番の落ちこぼれだったのですが、どういうわけか気がついたら同期で唯一母校の教授として残っています。

 名古屋城の次に行ったのが熱田神宮ですが、鬱蒼とした神宮の森の大木が何本も倒れていたのには驚きました。関空を閉鎖に追い込んだ台風21号による暴風が原因なのは明らかですが、神宮の森で被害に遭ったのは古い大木だけではありません。神宮の森には熱田神宮で神様の遣いとして飼われている鶏が数羽いるのですが、いつもその鶏を入れている鶏舎が強風で吹き飛ばされてしまった結果、神様の遣いの鶏が神宮の森の中に逃げ出してしまったそうです。そんなニュースをテレビで聞いていた秘書嬢に教わりながら神宮の森の中を歩いていたとき、どこからともなくその神様の遣いの鶏が近づいてくるのに気づきました。これには僕もスイス人の教え子も、さらには秘書嬢までもがビックリしてしまいました。特に名古屋の秘書は頻繁にこの熱田神宮に頻繁にお詣りにきていて、いつもは檻に入っている姿を遠くから見ることしかできなかった神様の遣いの鶏が寄ってきた上に近づいて触ることもできたということで興奮気味です。

 熱田神宮をお詣りした後は日が暮れてきたので、スイス人の教え子の希望で古くからやっている場末の飲み屋を探すため、その手の店が多いはずの大須観音界隈に向かいました。幸いにも初めての場所でもとびきりの店を探し出すことができる僕の鼻にその日も裏切られることはなく、常連客で埋まっているカウンターのみの場末の焼き鳥屋にかろうじて3人分の空席を見つけて並ぶことができました。明後日からの国際学会での講演などのことは忘れてしまったのか、教え子はこれでもかと日本酒を冷やで飲み干し、店の主人や常連客達と(僕の通訳で)盛り上がり、本当に楽しそうでした。

 僕はといえば、その前日から神はかりでついにお酒を止めることができたばかりです。この二人に付き合っていては、三日坊主どころか一日坊主に成り下がってしまいます。というわけでずっとノンアルコールビールで付き合っていたのですが、不思議なことにそんな楽しそうな雰囲気の飲み屋の中にいても、アルコールを飲みたいなどという気持ちは微塵も湧いてきませんでした。ちなみに、この原稿を書いている時点で、もう一ヶ月以上も断酒したままです。やはり神様が幾つもの奇蹟を起こしてわざわざこの僕のために仕向けて下さったものを破ってしまうことだけはできませんので・・・。

 翌日はお昼前に名古屋の秘書を迎えに行った足で、三重県にある滝原神宮に向かいました。前夜遅くまで痛飲したスイス人の教え子と美人秘書は、案の定食欲はあまりなかったようでしたが、断酒三日目の僕の胃袋は絶好調。四日市の近くのサービスエリアで味の濃いラーメンを平らげながら、二日酔いの教え子をフランス語でからかっていました。結局のところ、その元伊勢と呼ばれる滝原神宮は名古屋から高速道路を使ってほとんど伊勢神宮に行き着く行程を走ったあげく、直前で高速道路を降りて海ではなく山のほうに向かっていった先にあり、片道で3時間以上もかかってしまいました。

 ということは、やはり帰り道も3時間以上高速道路を走らなくてはならないということで、その日は学会会場の名古屋大学東山キャンパス内にあるゲストハウスに夜の9時半に教え子を送り届けた後、さらに岡山に向かって新名神高速道路と山陽自動車道をやはり3時間以上も走らなくてはならなかったのです。つまり、朝から一人で10時間以上も運転しなくてはならない状況。とほほ・・・。

 話を元伊勢に戻しますと、時間が空いたときにはよくお詣りにくるという名古屋の秘書の案内で山道を走っていき、「多気町」という文字どおり御神気が漂う山深い集落の中にある道の駅の駐車場に車を止めました。元伊勢の滝原神宮も本来は「多気原神宮」と書かれていたようですが、伊勢神宮の内宮も外宮も元々はこの場所にあったそうです。そんな話を聞きながら駐車場から本殿に向かって鬱蒼とした森の中を歩いていくと、台風21号の暴風で倒されたとおぼしき大木が何本も横たわっていました。応急処置で取りあえず倒れた木を小径の外に集めてはいましたが、木の根っこは小径に残されたままです。そんな中にひときわ大きく太い木が折れ曲がるように倒れていたのを見つけたときには思わず「あ、御神木までもが倒されている!」と叫んでしまいました。そんな日本語の意味をまったく解していなかったスイス人の教え子は、暢気な雰囲気のフランス語で笑いながら「おいクニオ、日本にも蛇がいるんだな」と呼びかけてきます。見ると、その倒れた御神木の根元のちぎれた部分から一匹の蛇が顔を出していました。ということは、その蛇もまた神様の遣いということになります!

 うーん、前日は熱田神宮で神様の遣いである鶏に出くわし、その日は元伊勢の滝原神宮で神様の遣いである蛇に出くわしてしまった僕は、数日前からの神はかり的な奇蹟の連続の背後にやはり神様の明らかな御意志を認めざるを得ない気持ちになっていきました(その奇蹟の連鎖についてはいずれ単行本の形でお伝えしようと考えています)。名古屋の美人秘書もやはり同じ考えだったようで、前日の熱田神宮に続きここ元伊勢神宮でも神様の遣いに出会えたということの素晴らしさを噛みしめるようにしながら、僕等二人を小径が終わる直前に下を流れている川のほうに案内してくれました。

 この川は伊勢神宮にまで流れる「五十鈴川」の源流になっていて、本来はここにあった内宮と外宮をこの五十鈴川の下流へと移したのが現在の伊勢神宮となったと聞きました。そんな元伊勢にお詣りするときには、「御手水」は五十鈴川の水辺まで行って五十鈴川の清らかな水で手と口をぬぐうのがよいとのことで、スイス人の教え子も美人秘書がするのを真似て何とかなっていました。

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 御手水を終えて再び小径に上がるところで振り返ると、五十鈴川の本当に清らかな流れが下流にあるであろう伊勢神宮の内宮に向かってさわやかに走っていく姿が目に止まりました。そう、ここが天照大神を奉る本来の伊勢神宮の入り口なのです。にもかかわらず、この入り口から少しだけ入った小径の真ん中にあったであろう御神木もまた、ご覧のように台風21号の暴風によって倒されてしまっていました。

 ですが、どうぞご心配なく。元伊勢の滝原神宮の内宮と外宮はどちらもが伊勢神宮の遷宮と同時に建て替えられたままの無傷の姿で我々を迎えてくれたのですから。

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 如何でしょうか? 神道の原点であるかのように実に清々しい外宮と内宮の本殿ではありませんか。規模は小さいし、参拝客はほとんど見られないにもかかわらず、今の伊勢神宮の内宮と外宮を併せてもこれほどの神々しさを醸し出すことはできないと思わせるほどの御神気が漂っているではありませんか。

 伊勢神宮内宮と外宮の御垣内がそっくりそのままというか、逆にここ滝原神宮の内宮と外宮がそのまま伊勢神宮内宮と外宮の御垣内となったに違いありません。本当に素晴らしい御社でした。

 そして、この御社もまた伊勢神宮と同時に遷宮をするため、すぐ隣には次の代の御社を建立するための土地が奉られています。その場所もまた、神々しいまでの(当たり前といえば当たり前ですが・・・)品格あるたたずまいではありませんか。本当に感動してしまいます。

 神様の存在を肌で感じた僕は、大阪のサムハラ神社以来ですが、社務所に立ち寄って御札を頂戴することにしました。内宮と外宮の御札が二枚セットになっていて、真っ白い手提げ袋に神官自ら入れて下さったものをしっかりと受け取り、大切に車の中にしまい込んだのです。そして道の駅の駐車場を出発した車は、名古屋への帰路にどういうわけか海が見たいと言い出した、海のないスイス生まれの教え子のために、三重県の県庁所在地である津市の適当な海岸に立ち寄ったのですが、どういうわけかそこでもまた竜宮城における神様の遣いであるウミガメの卵に出会ってしまいます。

 そう、ウミガメが前夜海岸に上がってきて産卵したばかりの場所に出くわしてしまったのです!

 ここまで神様の遣いに会えたのはいったいどういう理由だったからなのでしょうか?

 それは、台風21号によって関空が被害を被って8000人の方々が閉じ込められたのには、その背後で奇跡的な出来事の連鎖を実現させるためだったという深い理由があり真に神はかりであったということを、神様が僕に念押しをしてこられたからだったのです。そのぶっ飛んだ詳細につきましてはいずれ講演や単行本の形でカミングアウトさせていただくつもりですので、それまでお待ちいただければと思います。

 ちなみに、この夜にスイス人の教え子を名古屋大学のゲストハウスに送り届けた僕は、夜の10時に名古屋を出発して一路岡山へと新名神から山陽自動車道を走っていきました。深夜の1時には岡山の自宅に到着するつもりだったのですが、途中京都南インターを過ぎたあたりから急に激しい雨が降り出し大阪府内に入った頃にはワイパーを最速にしてもほとんど前が見えないほどになってしまいました。高速道路のレーンを示す白線やガードレールも見えず、ちゃんと道路に沿って走っていくことができるのは前方を水しぶきを上げて走っていく長距離トラックの赤いテールランプに追随していたからです。全線で50キロ速度制限が敷かれ、このままでは岡山に戻るのが深夜の3時頃になってしまうと考えた僕は、せめてトンネルの中では視界が確保できるので遅れを取り戻そうと追い越し車線を突っ走ってトラックの車列をごぼう抜きにしていきました。

 いつも雨が降っているときの高速道路ではそうしていたのですが、その夜の雨の激しさは半端ではありません。トンネルを出る瞬間にそれこそ滝の中に突っ込むかのように大量の水がフロントガラスにぶち当たって前方がまったく見えなくなるだけでなく、トンネルの外の高速道路上に溜まった大量の水の上でタイヤが滑ってしまいスピンを起こして制御不能の状態になってしまいました。これには本当に肝を冷やしてしまい一瞬覚悟を決めたのですが、無意識に逆ハンを切ったのが功を奏したのかすぐにスピンが収まり、後輪を左右に振りながらも何とかスピードを落として車を安定させることができて九死に一生を得たのです。いやー、ホントに危なかった!

 幸いにも兵庫県を過ぎた途端にあれほど激しかった雨も小降りになり、岡山の自宅には深夜2時半に無事到着できました。僕のそれほど短くもない人生の中で最も危険な運転経験をした直後ということもあって、その日の朝から15時間も運転してきたわりには眠気もなかったため、車の中から手荷物だけでも取りだしてから横になろうと思い、ガレージの中で前後のドアとトランクを開けた僕は、中に入っていた今回の旅行の品々を運び出したのです。完全に空になったトランクと車内を確認してドアを閉めようとしたとき、ふとあることに気がつきます。そう、滝原神宮でいただいた御札がどこにも見つからないのです!

 そのときです、頭の奥にフッと浮かび上がったことがありました。ひょっとして、あの滝原神宮の御札が身代わりとなってあのときこの僕を助けてくれたのではないかと!

ここでもまた神にひれ伏す保江邦夫

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