稲葉耶季さんへのお手紙を、はせくらみゆきさんが読み上げてくださいました | 星辰館〜保江邦夫オフィシャルサイト

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稲葉耶季さんへのお手紙を、はせくらみゆきさんが読み上げてくださいました

2018.04.21

 去る4月14日、赤坂にて稲葉耶季さんの追悼セレモニーが行われました。主催は僕も懇意にしていただいている、はせくらみゆきさんです。はせくらみゆきさんは本当に不思議な方で、稲葉さんが天に召されてすぐに、「会いに行った」と聞きました。2月6日に半蔵門で内々の小さなお別れ会が開かれたときも「エア参加します」と言って、本当に幽体? 霊体? としてお部屋にいらしたようです。

 「追悼 プラーナライフの道先案内人 プラーナライフサミット特別編  稲葉耶季先生から学んだこと」と銘打たれたそのサミットに、僕は欠席の非礼の詫び代わりに、稲葉さんへの手紙をご紹介いただきました。サミットの模様についてははせくらさんのブログ(http://hasekura-miyuki.com/3448)をお読みいただくとして、そのお手紙を今日は皆さんにもお読みいただければと思います。稲葉さんが光に戻られて、早いものでもう3ヶ月の時が過ぎました。

 

 

稲葉耶季(いなばやすえ)さんへ

保江邦夫(やすえくにお)より

 

 裁判官で弁護士で尼僧…そうご紹介されて稲葉耶季さんにはお目にかかりました。ところがお生まれは東京山手教会の牧師様の娘、とのことで、それだけでもその人生の多層性、奥深さに頭が下がる思いです。「耶季」というお名前は、キリストと同じ名前としてつけられたとうかがいました。キリストの名は「イエス」というのが私たちには一般的ですが、本来は「ヤスエ」という発音が正しいようです。名前というものはその人に一生涯ついて回るものです。ですから、ご両親、特にキリスト者のお父様がこの「ヤスエ」をお選びになったのでしょう。キリストと同じ人生を歩むようにという願いを込めて。

 そして、やすえさんは決してその願いを裏切りませんでしたね。三度にわたる東京や岡山での長時間の対談を元にして二人共著の本を出させていただいたとき、活字には収まらなかったところでおうかがいすることができたやすえさんの生き様は、本当に現代のキリストと呼ぶにふさわしいものでした。社会の矛盾に怒りさえも露わにした子ども時代、大学を出てその社会の中でもがき苦しんだ上で己と世の中を描き換えるために司法試験受験という荒れ野をさまよった半年間、そして裁判官となってからは荒れ野で神に出会ってキリストとなったイエスのように人々に福音を説き続けて下さったのですから。

 ゴルゴダの丘に十字架を担ぎ茨の王冠による苦痛に耐えながら上ったキリストの受難は、苦しみに苦しみぬいてまさに己の血と涙を絞り出したかのような人間の根源的な愛と苦しみそのものが映し出された判決の数々を読み上げた沖縄地方裁判所裁判官のとき、キリスト以上に味わわれたことでしょう。沖縄の基地問題の裏表と明暗の狭間で被害者となった側の苦しみを共有し、加害者となるまでに追い詰められた側の心の闇にまでも分け入っていくやすえさんの受難は定年退官後も続きます。祈りと瞑想の中で被害者の方々の命に寄り添い、加害者の罪を許して下さるように十字架の上のキリストの如く神に懇願するため、洗礼も受けていらっしゃったキリスト教をも超えて禅僧の道を歩んでいかれたのですから。

 本当は黄檗宗に入りたかったけれども繋いで下さるお方がいなかったということで、知己を得ていた臨済宗で僧籍を得てから日本だけでなくインドやチベットさらには欧州にまでも瞑想の旅足を伸ばしていかれました。そんなやすえさんが、できれば黄檗宗への宗派替えを許していただこうと考えていると知ったとき、キリストの受難とも禅僧の祈りとも無縁の生き方しかできずにいた僕にできるせめてものお手伝いと思い、黄檗宗の有力者の方に会っていただく機会を作りました。幸いにも黄檗宗は、以前は臨済正宗と呼ばれていたように臨済宗の母体となった禅宗で、臨済宗の僧籍を黄檗宗へ移すのは簡単なことだとわかり、とても喜んで下さったやすえさんの明るい笑顔が僕の心の勲章になっています。好日を選んで宗派替えの法要をと考えていらっしゃった間に体調を崩されたため、結局黄檗宗の僧籍への移行を待たずに浄土へと旅立たれてしまわれました。

 今となっては僕がお手伝いできることはもう何も残っていないのかもしれませんが、やすえさんが最後までこだわっていらした黄檗宗との繋がりだけでも未来永劫にまで遺してさし上げたいと思います。

 ちょうどやすえさんが旅立たれた頃に、僕は郷里の岡山が生んだ神道家・高濱正七郎の墓を白金の住処の近くに見つけました。そのとき、仏教家・山本空外和尚の教えに傾倒していた理論物理学者・湯川秀樹博士が墓を浄土宗総本山の知恩院にあった空外和尚の墓の隣に建てたように、僕の墓も高濱正七郎の墓の隣にしようと考えたのですが、ここでやすえさんにお約束したいと思います。

 その墓石には「Yasue」という文字しか彫りません。それが僕の墓だと思って下さる方々には保江邦夫の墓に映りますし、やすえさんの墓だと思って手を合わせて下さる皆さんには稲葉耶季のお墓になるのです。

 どうです、やすえさん。グッドアイディアでしょ。

 しかも、そのお墓があるのは、白金にある黄檗宗のお寺なのですよ。

 どうぞ、キリスト者として天使のお姿で、黄檗宗の僧侶として権現様のお姿で、僕の周りにちょくちょく出てきて下さいませんか。この世の中は、まだまだやすえさんの愛情に充ち満ちた判決を待っている僕のようなさまよえる羊達で溢れているのですから。

 

平成30年3月吉日

保江邦夫

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