夏の神旅・その1-星辰館〜保江邦夫オフィシャルサイト

夏の神旅・その1

2019.11.03

 この夏は幾つかの神旅(神様に導かれての意味のある不思議な旅)を経験させていただきました。ということで、その断片を4回に分けてご紹介いたしましょう(必ずしも時間順序ではありません・・・気分順序といったところでしょうか)。

 最初に導かれたのは戦国のキリシタン大名として社会科の教科書にも載る高山右近の生誕地でした。徳川幕府によるキリスト教禁止令により改宗を迫られたキリシタン大名の中でも、信仰の自由を求めてフィリピンに落ち延びた高山右近はその後キリスト者の道を歩み続け現地で天に召されました。その英雄的行動が最近になってバチカンのカトリック教皇庁から「福者」として認められたのは、日本人としても大変に嬉しい出来事でした。

 その高山右近が生まれたのが摂津国の高山村で、今の大阪府北西部にある山村です。その村の中心部には高山右近の生家跡地に石碑が建てられています。

 その生家跡地から眺めた村の雰囲気は、戦国末期の時代での風景を充分に彷彿させてくれるのどかな日本の原風景そのものといったところです。

 また、生家跡地には神社も建立されていて、手入れもきちんと行き届いています。土地の人たちにとっては高山右近という人物はやはり偉大な先人として崇められ続けているに違いありません。

 聞けば単なるキリシタン大名というだけではなく、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった当時の大御所たちがそろって高山右近を軍師として忠臣に迎えようとしたほどの、当代一流の知恵者だったそうです。黒田勘兵衛をも凌ぐ軍師であり、人望も厚く、高山右近を側近に迎えた者が天下を制するとまで言われていたとか・・・。

 キリスト者である高山右近の生家跡地に神社というのもミスマッチかと思いきや、ご覧のようになかなか精妙な雰囲気があって違和感はありません。そういえば稲荷神社はINARI、つまりキリストを奉った場所だという話もあるくらいですからね。

 荘厳なたたずまいの生家跡地を後にしようとしたとき、ふと見上げた青空にはなんと十字架のような雲が湧いて出てきていました。

 しかも、直後にはすぐに消え去ってしまったのです。これもまた神のお導きだったと示されたかのように・・・。

 少し離れたところには高山家の菩提寺ともなっているお寺があるのですが、その釣り鐘を見るとなんと「愛を敬う鐘」と標されているではありませんか。ここにもまた愛に生きたキリスト者の気持ちが刻まれていたのです。

 そして、観光案内標識によれば、高山村の外縁には「マリアの墓」までもがあるようなのです!! 「え、ここにも!」と僕が驚いた理由は、実は岡山県内にも「マリアの墓」があるからです。

 むろん、岡山のほうはイエスキリストの母親である「マリアの墓」なのですが、高山村の「マリアの墓」のマリアは実はキリストの母親のマリアではなく、高山右近の母親の高山マリアの墓でした。で、実際に高山マリアのお墓に行ってみると・・・。

 小さな墓石が三つ並んだ中央にあったのが洗礼名のマリアと名乗っていた高山右近の母親のお墓でした。ちょうど夕日が射し込んできたタイミングでお墓参りができたのも、まさに神旅のなせる業・・・。

 しかし、この摂津国高山村から北に少し行った日本海の宮津港にもキリスト者の面影が残っています。そう、あの細川ガラシャです。

 明智光秀の三女「玉」が細川忠興に嫁いで暮らしたのが宮津であり、後にキリスト教の洗礼を受けて細川ガラシャと名乗ったことを記念して銅像が建てられています。

 そのガラシャ夫人の銅像の向かいにあるのは日本で二番目に古い木造教会の「カトリック宮津教会」で、聖母マリアに抱かれた赤子のイエスキリストの像が印象的です。

 宮津から南西の方向に行くと高山村を経て兵庫県の三木市に繋がり、以前のフォトエッセー「中学生日記」に登場した大学合気道部の同期がやっている蕎麦屋「プラットきすみの」があります。ちょうどお腹も空いたので立ち寄ってみたところ、その日は水曜日で定休日。やむなく他の蕎麦屋を探していたところに見つけたのが「子午線塔」!

 東経135度の日本標準時を表す子午線が通過しているのは明石だけではなく、その北に位置する三木市も通過しているのだよとばかりに、市内の目立つところに建てられていた日本標準時時計塔です。

 それにしても、「子午線塔」とは如何にもといった雰囲気ですが、塔自体もその古風な名前に似合うような造りでした。

高山、宮津、三木の関西弁がうらやましかった、田舎岡山弁で育った保江邦夫

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